アルフォンソ1世・デステとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 実業家 > 貴族 > エステ家 > アルフォンソ1世・デステの意味・解説 

アルフォンソ1世・デステ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 03:52 UTC 版)

アルフォンソ1世・デステ
Alfonso I d'Este
モデナ=レッジョ公
アルフォンソ1世・デステ像、ティツィアーノ
在位 1505年1月25日 - 1534年10月31日
別号 フェラーラ公

出生 (1476-07-21) 1476年7月21日
死去 (1534-10-31) 1534年10月31日(58歳没)
配偶者 アンナ・マリーア・スフォルツァ
  ルクレツィア・ボルジア
子女 一覧参照
家名 エステ家
父親 エルコレ1世・デステ
母親 レオノーラ・ダラゴーナ
テンプレートを表示
アルフォンソ1世とルクレツィア・ボルジアの墓碑

アルフォンソ1世・デステAlfonso I d'Este, 1476年7月21日 - 1534年10月31日)は、モデナ=レッジョ公フェラーラ公コンドッティエーレカンブレー同盟戦争で活躍した。エルコレ1世・デステと妃レオノーラ・ダラゴーナの長子。姉はルネサンスの華と謳われたイザベッラベアトリーチェである。

生涯

1505年に公位を継承した直後、実弟フェランテと異母弟ジューリオが、アルフォンソ1世ともう1人の弟イッポーリト枢機卿に対してたくらんだ陰謀に直面した。1506年9月、不敬罪の容疑で2人を捕らえて死刑を宣告したが、彼らを絞首刑にするところを変え、終身刑とした。2人はトッレ・ディ・レオニの2つの独房に分けて幽閉された。フェランテは34年後に独房で死に、ジューリオは53年もの幽閉ののち赦免され解放された。釈放後、ジューリオはフェッラーラの街頭で時代遅れの衣服を嘲笑されたという。

イタリア戦争において、アルフォンソ1世はカンブレー同盟側についた。ローマ教皇ユリウス2世によって司令官に命じられ、ポレセッラの戦いでボローニャを獲得。しかし1510年にユリウス2世に破門され、フェラーラを教皇領にされた。その後はヴェネツィア共和国や教皇庁の敵と戦い続け、1512年ラヴェンナの戦いでは、フランス軍に勝利をもたらす重要な役割を演じた。これらの快進撃は、ラ・ジューリアと名付けられた巨大な大砲を含むフェラーラの兵器がもたらしたとされている。

1526年クレメンス7世から破門されローマに幽閉されるが、これがローマ略奪の切っ掛けとなる。1530年神聖ローマ皇帝カール5世と和解したクレメンス7世はアルフォンソ1世の破門を解き、モデナレッジョを与えた。

父同様音楽のパトロンであり、アントワーヌ・ブリュメルアドリアン・ヴィラールトを宮廷へ招いた。

家族

1496年、美貌で知られたアンナ・マリーア・スフォルツァガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの娘)と結婚。同時期に姉ベアトリーチェはミラノルドヴィーコ・スフォルツァと結婚した。1497年にアンナは女児を死産して産褥死した。

1501年、アレクサンデル6世の娘ルクレツィア・ボルジアと再婚。ルクレツィアは3度目の結婚であった。

  • アレッサンドロ(1505年)
  • 女児(1507年、死産)
  • エルコレ2世(1508年 - 1559年)
  • イッポーリト(1509年 - 1572年) - 枢機卿
  • アレッサンドロ(1514年 - 1516年)
  • エレオノーラ(1515年 - 1575年) - フェラーラ、コルプス・ドミーニ修道院長
  • フランチェスコ(1516年 - 1578年) - マッサロンバルダ侯
  • イザベッラ=マリーア(1519年、死産)

また、ラウラ・ディアンティとの間に庶子が2人いた。

先代
エルコレ1世
モデナ=レッジョ公
フェラーラ公
1505年 - 1534年
次代
エルコレ2世




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アルフォンソ1世・デステ」の関連用語

アルフォンソ1世・デステのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アルフォンソ1世・デステのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアルフォンソ1世・デステ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS