簒奪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/13 10:13 UTC 版)
この項目の現在の内容は百科事典というよりは辞書に適しています。
|
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2016年3月)
|
簒奪(さんだつ、英: usurper)とは、本来君主の地位の継承資格が無い者が、君主の地位を奪取すること。あるいは継承資格の優先順位の低い者が、より高い者から君主の地位を奪取する事。ないしそれを批判的に表現した語。本来その地位につくべきでない人物が武力や政治的圧力で君主の地位を譲ることを強要するという意味合いが含まれる。
語源
語源はラテン語の単語で「使う」や「奪う」を意味する「Usurpare」から来ており、それが変わって「Usurper」という英名が簒奪を意味する単語となった[1]。
政治との関係
ギリシャ人は簒奪について独自の概念を持っているとされ、簒奪者を「暴君」と呼称し[2]古代ギリシャでは「不法もしくは違憲的に権力を掌握した王位継承者ではない人物」というものが簒奪者の定義とされていた。このような者はソクラテスやアリストテレスやプラトン等の政治哲学者から否定的に捉えられていた[3]。
関連項目
- ^ “Usurp definition and meaning | Collins English Dictionary” (英語). www.collinsdictionary.com. 2025年2月13日閲覧。
- ^ Kagan, Donald (1991) (英語). Pericles Of Athens And The Birth Of Democracy. Simon and Schuster. ISBN 978-0-684-86395-5
- ^ Aristotle (2010-02-15) (英語). The Politics. University of Chicago Press. ISBN 978-0-226-02670-1
簒奪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 05:31 UTC 版)
「ロデリック (西ゴート王)」の記事における「簒奪」の解説
754年の年代記によると、ロデリックは元老院の後押しを受け波乱含み(tumultuose)で王国(regnum)を占領したという。歴史家たちはこれらの言葉の正確な意味について長く議論してきた。前にも起こったことのある典型的な宮廷クーデターではなく、むしろはっきりと王国を二分しようと宮廷へ暴力的な侵略行為を行ったとみられている。 この侵略が王国の外側からのものでないことが推測される。なぜならregnumという言葉は王座を意味し、おそらくロデリックは容易に王冠を簒奪したとみられるからである。それにもかかわらず、ロデリックは地方の司令官(伝承によれば、のちにバエティカのドゥクスとなった)であったか、クーデターを企てた際には亡命の身ですらあった。 正統の王ウィティザの暗殺または廃位に、または彼の自然死の原因に関係していようがいるまいが、tumultとはこの簒奪行為がおそらく力ずくであることをうかがわせる一部の学者たちは、アギラ2世がロデリックの対立王であり、ロデリックはアギラ2世から王座を奪おうとしたと信じている。アギラ2世は実際にウィティザの息子でかつ後継者であった。 ロデリックがクーデターを成し遂げた元老院は、おそらく『有力貴族と一部の司教』から構成されていただろう。反乱側に聖職者が参加したことには議論がなされている。一部の人々は、司教からの支持を得たことは、王位簒奪というレッテルを貼られる行いにつながらなかったと主張する。現世における教会の支配者は、レカレド1世時代以降の西ゴート王国王位継承を決定するのに権力を持つ存在であった。しかし、王位継承権を持つ王族は、西ゴート王国最後の数十年間に彼らの影響力を封じようとした歴代国王の措置にそれほど影響を受けなかった。これは711年のクーデターでの彼らの影響から明らかである。
※この「簒奪」の解説は、「ロデリック (西ゴート王)」の解説の一部です。
「簒奪」を含む「ロデリック (西ゴート王)」の記事については、「ロデリック (西ゴート王)」の概要を参照ください。
簒奪
品詞の分類
- >> 「簒奪」を含む用語の索引
- 簒奪のページへのリンク