ローマ皇帝とは? わかりやすく解説

ローマ皇帝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 07:48 UTC 版)

ローマ皇帝(ローマこうてい)は、紀元前27年元老院より「アウグストゥス(Augustus)」の称号を授与されたオクタウィアヌスと、この称号を帯びた彼の後継者たちを指して用いられる歴史学的な名称である。「ローマ皇帝」という単一の職位があったのではなく、資質と実績を認められた特定の人物が複数の重要な役職に就くことによって権力を独占している状態にあったことを意味する[要出典]


  1. ^ ユリウス・カエサルを最初のローマ皇帝とする数え方も存在する。例として『ユダヤ古代誌』第XVIII巻2章2節では「カイサル(アウグストゥス)が第2代・ティベリオス・ネロン(ティベリウス)が第3代」、同書6章10節では「ガイオス(カリグラ)が第4代」とするほか、第XIX巻2章3節ではカリグラ暗殺後の元老院の集会の下りで「民衆支配という統治形態が奪われて100年」とユリウス・カエサルの執政官就任からカウントしている前提の記述がある[1]
  2. ^ 国原吉之助は、principes Romaniやprincipem Romanumには「ローマの元首」の訳語を、imperatorem Romanum には「ローマの最高司令官」の訳語を当てている(#タキトゥス1981)が、19世紀のAlfred John Church英語版とWilliam Jackson Brodribbによる英訳では、上記いずれも「 the Roman emperor」の訳語を当てている
  3. ^ ただし、あくまでインペラトルは単なる個人名に過ぎず、インペラトルを名乗ったからといって命令権保持者(インペラトル)になれるわけではなかった。
  4. ^ このときオクタウィアヌスに統治が委ねられた属州のことを、歴史学の用語では皇帝属州と呼ぶ。皇帝属州ではない残りの属州は元老院属州と呼ばれる。
  5. ^ 護民官に就くことなく護民官と同等の権利を行使できるようになる特典の付与。
  6. ^ 例えば、120年頃に書かれたとされるスエトニウスの『ローマ皇帝伝』も、原題は『カエサルたちの伝記(De vita Caesarum)』である。
  7. ^ Αυτοκράτοραςアウトクラトールはインペラトルの古代におけるギリシア語訳、Σεβαστός(セバストス)は、カエサルの古代におけるギシリア語訳。アウグストゥス個人を指す場合はΑυγούστουとギシリア文字で表記した)
  8. ^ 古代の文学作品の一部で「ローマのimperator」「ローマのprinceps」という用語が用いられている。例えばタキトゥスでは、「principes Romani」(12巻48章)「principem Romanum 」(14巻25章)、「imperatorem Romanum」(15巻5章)が登場していて、19世紀のAlfred John Church英語版とWilliam Jackson Brodribbの英訳ではいずれも「the Roman emperor」と訳しているが、国原吉之助は、「ローマの元首」「ローマの最高司令官」の訳語を当てている。しかしながらタキトゥスに限らず古代の文学作品では、「Roman/Romanum(ローマの/ローマ人の)」をprincipesやimperatorに冠する用例はほとんどなく、各作品の中で皇帝を示す用語はほとんどprincipesあるいはimperatorが単体で用いられている。これはタキトゥスに限らず3世紀初頭のカッシウス・ディオや4世紀末の『ローマ皇帝群像』、アンミアヌス・マルケリヌスの『ローマ帝政の歴史』、更に時代が下って6世紀のプロコピウス『秘史』でも同様である。タキトゥス『年代記』で「ローマの」がprinceps/imperatorに冠された回数は6回、『同時代史』では2回、カッシウス・ディオでは2か所、『ローマ帝政の歴史』では4回(2020年2月現在日本語訳は三冊中の第一分冊しか出ていないが、第一分冊では3か所Romani Principis(及びその格変化形)が登場しており、訳者山沢考至はすべて「元首」の訳語を当てている(最後の一か所はimperator Romanusで29巻1-4(日本語訳では第三分冊収録予定)に登場している)『秘史』では5回登場している。このように、「ローマ皇帝」という用例は、古代において存在していたものの、文学作品に限られておりかつ非常に稀である
  9. ^ 編纂史料においてもこの同じ時期から「ローマ皇帝」の用語が登場する。814年頃完成したと考えられているテオファネス作『テオファネス年代記』は、ディオクレティアヌスの治世284年から書き起こしているが、年代表記時の各皇帝の治世年を記載する箇所ではディオクレティアヌス以降全皇帝の名前の前に「Ῥωμαίων βασιλεὺς(ローマ人の皇帝/ローマ皇帝)」が冠されている
  10. ^ 最初にポンティフェクス・マクシムスに就いたローマ司教としてはレオ1世の他にダマスス1世シリキウスとする説もある[45]
  11. ^ より正確には、紀元前23年より、1年限りの護民官職権が毎年付与された[20]
  12. ^ タキトゥスは軍事力によって皇帝が定まるのが「帝権の秘密(imperii arcano)」(『同時代史』1巻4章2節)だと記載しており、この点は現代の学者も受け入れている。南川高志は「イタリアの外で皇帝に擁立された者は、首都で元老院の承認を得、民衆の歓呼を受けることを目指したけれども、それをしなければ皇帝ではないという観念があったとは思われず」と記載している(#笠谷2005所収「ローマ皇帝権力の本質と変容」p216
  13. ^ 島田誠は、オクタウィアヌスの後継者選定では皇帝家(ドムス・アウグスティー)集団が大きな影響を持ったと論じている(島田誠「ティベリウス政権の成立とその性格」2001年)
  14. ^ 例えばマルクス帝は、ピウス帝の養子となり皇帝家の一員となった後、それぞれの職務に時をあけて就任している(『ローマ皇帝群像I』哲学者マルクス・アントニヌスの生涯6節
  15. ^ なお、南川は「ローマ皇帝権力の本質と変容」(#笠谷2005年p218)において1980年代のファーガス・ミラーの研究以降、「すべてをパトロネジに還元して説明することができなくなり」「ローマ皇帝を「最高にして最大のパトロン」と定義することも再考を要するようになった」としている
  16. ^ ただし、大清水裕『ディオクレティアヌスと専制君主政』『歴史と地理―世界史の研究』242、2015年p61には「ディオクレティアヌスに始まる「専制君主政」という見方は、古代末期研究の進展とともに大きく見直しを迫られている」とし、この文言を引用した南雲泰輔は「2010年や2012年の主張から後退しているように見える」とコメントしている(南雲泰輔『ローマ帝国の東西分裂』2016年岩波書店、註p47,註(5))
  17. ^ 法律では、アウグストゥスとティベリウスと同様の権限を有する、と記載されている。アウグストゥスとティベリウスが法律に拘束されなかったのかが事実かどうかはともかく、ウェスパシアヌスの時代にはそのように思われていたということが、この法律から確認されるわけである。法律全文の日本語訳は#古山2002所収
  1. ^ フラウィウス・ヨセフス 著、秦剛平 訳『ユダヤ古代誌6 新約時代編[XVIII][XIX][XX]』株式会社筑摩書房、2000年、ISBN 4-480-08536-X、P23・80・186
  2. ^ a b 弓削2010、pp.150-151。
  3. ^ [皇帝]黒田日出男 編 『歴史学事典〈第12巻〉王と国家』弘文堂、2005年。ISBN 9784335210433 
  4. ^ a b c d ルル2012、p.30
  5. ^ a b c ルル2012、p.38。
  6. ^ a b ルル2012、p.31。
  7. ^ ルル2012、p.33。
  8. ^ ル・ル2012、pp.39-40。
  9. ^ a b c d 弓削2010、p.154。
  10. ^ a b c d e f [インペラトル]『世界歴史大事典』教育出版
  11. ^ [インペラトル]『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典TBSブリタニカ
  12. ^ 弓削2010、pp.154-155。
  13. ^ 弓削2010、p.160。
  14. ^ a b 弓削2010、pp.155-160。
  15. ^ a b 弓削2010、pp.166-167。
  16. ^ a b c 弓削2010、pp.164-165。
  17. ^ 弓削2010、pp.165-166。
  18. ^ a b 弓削2010、p.166。
  19. ^ 弓削2010、pp.168-169。
  20. ^ a b c 弓削2010、p.170。
  21. ^ a b c d 弓削2010、p.173。
  22. ^ a b 弓削2010、pp.166-168。
  23. ^ 弓削2010、pp.169-170。
  24. ^ a b c 弓削2010、p.175。
  25. ^ 弓削2010、p.176。
  26. ^ a b c d 島田1998、pp.256-257。
  27. ^ 島田1998、p.257。
  28. ^ a b スエトニウス1986、pp.203-204。
  29. ^ a b スエトニウス1986、p.257。
  30. ^ ビアード2018、p.118。
  31. ^ ビアード2018、p.84。
  32. ^ 島田1998、pp.255-257。
  33. ^ 松原國師「フラーウィウス氏」 『西洋古典学事典』京都大学学術出版会、2010年。ISBN 9784876989256 
  34. ^ a b c ランソン2012、pp.52-53。
  35. ^ ランソン2012、p.110。
  36. ^ a b c [インペラトル]『世界大百科事典平凡社
  37. ^ #古山2002p168-169「ウェスパシアヌス帝の最高指揮権に関する法律」
  38. ^ テオドシウス法典11巻9章第一法文
  39. ^ 高橋亮介「ローマ期エジプトにおける地方名望家:2世紀アルシノイテス州のパトロン家の事例から」 p41
  40. ^ タキトゥス作品の翻訳者国原吉之助は、プリンケプスを「元首」と訳し、インペラトルを「最高司令官」と訳している
  41. ^ 長谷川・樋脇2004、p.61。
  42. ^ a b [ポンティフェクス・マクシムス]『世界大百科事典平凡社
  43. ^ レミィ2010、p.40。
  44. ^ ゲオルグ・オストロゴルスキー 著、和田廣 訳 『ビザンツ帝国史』恒文社、2001年、117頁。ISBN 4770410344 
  45. ^ マシュー・バンソン「ポンティフェクス・マキシムス」 『ローマ教皇事典』三交社、2000年。ISBN 9784879191441 
  46. ^ #弓削2010第三章三節「皇帝裁判権の成立」で論争史と主にアウグストゥス時代における成立論を論じている
  47. ^ 弓削2010、pp.152-154。
  48. ^ スエトニウス1986、p.258。
  49. ^ レミィ2010、pp.54-55。
  50. ^ [皇帝]『世界歴史大事典』教育出版センター、1992年。
  51. ^ 南川高志「ローマ皇帝権力の本質と変容(コメント2)#笠谷2005、p219
  52. ^ レミィ2010、pp.51-52。
  53. ^ 14世紀に出土した青銅版「ウェスパシアヌス帝の最高指揮権に関する法律」#古山2002p167-8
  54. ^ コンモドゥス帝暗殺後やカラカラ帝暗殺後の混乱期等
  55. ^ この仕組みはビザンツ帝国末期まで続き、皇位継承法はビザンツ帝国の滅亡まで成立せずに終わった
  56. ^ #南川1995p7
  57. ^ a b #南川1995p8
  58. ^ A.v.Premerstein,Von Werden und Wesen des Prinzipats,Abh.Bayer. Akad.der Wiss., N.F.15,Munchen,1937
  59. ^ #南川1995p15
  60. ^ #南川1995p14
  61. ^ #レミィ2010の訳者大清水裕のあとがき、p152
  62. ^ #レミィ2010p56
  63. ^ 南川p219#笠谷2005所収「ローマ皇帝権力の本質と変容」
  64. ^ 南川p221#笠谷2005所収
  65. ^ 南川p220#笠谷2005所収
  66. ^ #レミィ2010p59
  67. ^ #レミィ2010p60
  68. ^ #レミィ2010p63-64
  69. ^ a b #レミィ2010p74
  70. ^ #レミィ2010p66



ローマ皇帝

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ウェトラニオ」の記事における「ローマ皇帝」の解説

ウェトラニオ帝位受け入れたコインには彼の名前と、カエサル副帝ではなくアウグストゥス正帝)の称号刻まれた。これらのコインからは彼が5年あわよくば10年帝国統治するつもりであったことが分かるコンスタンティウス2世当初イリュリア人皇帝選出されたことに反対しなかったが、ウェトラニオはすぐにマグネンティウス組みコンスタンティウスペルシアとの戦争から帰還していたトラキアヘラクレア宮廷使節として向か途中彼に対す統一戦線結成したウェトラニオマグネンティウス彼に帝国の上称号提供しマグネンティウス自分の娘とコンスタンティウスとの結婚自身彼のコンスタンシア英語版)との結婚提案した。しかし、同時に彼らはこの皇帝武器を置き、西部諸州に対する彼らの主張認めるよう要求したコンスタンティウスは、注意深さという点では父親コンスタンティヌス1世影響を受けたようで、憤慨して申し出を断った。 ところが、コンスタンティウス2世ウェトラニオへの敵意を隠すようにしておりマグネンティウスとの交渉軽視しながらもウェトラニオ主張称号もっともらしく認めマグネンティウスとの戦争に彼を同意させたい思っていた。決めかねていたウェトラニオは、ついにこの和解受け入れコンスタンティヌスとともに再び団結したコンスタンティウスは、ナイススシルミウムセルディカで、戦争のためにウェトラニオ一緒に自分たちの力を集結した

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