コンスタンティウス・クロルス
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フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティウス[1](ラテン語: Flavius Valerius Constantius、250年3月31日 - 306年7月25日[2])は、ローマ帝国の皇帝(305年 - 306年)。コンスタンティウス1世とも。一般に χλωρός, Chloros(Chlorus)クロロス(クロルス、「青白い」という意味のギリシア語)と呼ばれているが、これは後の東ローマ帝国時代の歴史家たちが付けたあだ名である。コンスタンティヌス1世の父で、コンスタンティヌス朝の創始者である。
- ^ マルクス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティウス、ウァレリウス・コンスタンティウス、ガイウス・フラウィウス・コンスタンティウス、などと表記される。
- ^ DiMaio, Robert, "Constantius I Chlorus (305-306 A.D.)", DIR
- ^ 『ローマ皇帝群像』、 Claud. 13
- ^ 『ローマ皇帝群像』、 Carus 17
- ^ Eutropius, 9.22; Zosimus, 2;
- ^ en:Aurelius Victor, Liber, 39
- ^ Eutropius, 9.23
- ^ Eutropius, 10.1; Aurelius Victor, Epitome 39; en:Zosimus, 2
- ^ Eutropius, 10.1-2
- ^ エウセビオス, 1.13-
- ^ モンマスのジョフリー, 『ブリタニア列王伝』 5.6
- 1 コンスタンティウス・クロルスとは
- 2 コンスタンティウス・クロルスの概要
- 3 参考資料
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