フラウィウス朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 23:22 UTC 版)
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フラウィウス朝(フラウィウスちょう、英: Flavian dynasty)は、西暦69年から96年まで続いた、ローマ帝国の王朝。
その名は皇帝たちの属したフラウィウスの氏族名から。ウェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌスの3人が属する。
ドミティアヌス没後、帝位にはネルウァが就き、ローマは五賢帝時代を迎える。
歴史
ウェスパシアヌスはクラウディウス帝に見出され、ブリタンニア遠征などに従軍し、有能な軍人として知られていたが、ローマの中流階級の出身で、ネロ死後の皇位争奪戦の中で、皇位継承の候補者とは見なされていなかった。
しかし68年にネロが帝位を追われ自殺、1年で皇帝が3度も変わる事態となった(四皇帝の年)。立て続けの政変に、国家は混乱を来すようになり、人々は有能な政治家、安定した政権を望むようになり、これが軍隊の支持を得て、かつ的はずれのない堅実な政策を取ると思われたウェスパシアヌスが皇位に就くきっかけとなった。
ローマが混乱していた当時、ウェスパシアヌスはネロの命によりユダヤ戦争の平定を命じられており、これを終わらせることによって実力をつけ、シリア属州総督ガイウス・リキニウス・ムキアヌス、息子のティトゥスなどの補佐もあってローマに入り政権をとった。
フラウィウス朝はローマ皇帝が従来権威の由来としていたアウグストゥスの血統とは無縁であったが、混乱の後のウェスパシアヌスの統治はローマ市民に歓迎された。
ウェスパシアヌスの死後は長男のティトゥスが皇位につき、市民からの評判はよかったが、病に倒れ、治世はわずか2年と短かった。続いて次男のドミティアヌスが皇帝となるも、やがて公然と元老院などと敵対するようになり、財政においても失政を重ねたため、支持を失い、最終的に暗殺された。ティトゥスおよびドミティアヌスの子は全て夭折しており、これをもってフラウィウス朝は断絶した。
子孫
その後、フラウィウス朝の血統はウェスパシアヌスの兄ティトゥス・フラウィウス・サビヌス2世の孫の一人ティトゥス・フラウィウス・クレメンスが、ウェスパシアヌスの孫娘(娘・小ドミティラの子フラウィア・ドミティラ(聖ドミティラ))との間に4男3女を儲けていたことで存続した。息子2人はそれぞれ、ウェスパシアヌス、ドミティアヌスと名乗ったが、子を残さずに死去した。別の息子で三男にティトゥス・フラウィウス・ティティアヌス(95年頃生まれ)がおり、その息子がティトゥス・フラウィウス・クラウディウス・スルピキアヌス(137年頃 - 197年)である。
スルピキアヌスには以下の子女がいる。
- ティトゥス・フラウィウス・ティティアヌス(165年頃 - 216年頃)- 200年にコンスル就任。ポストゥミア・ウァリアという女性と結婚。
- フラウィア・ティティアナ - 後の皇帝ペルティナクスと結婚。プブリウス・ヘルウィウス・ペルティナクスと名前不詳の娘を儲けた。
スルピキアヌスはペルティナクス暗殺後の帝位競売に参加したが、ディディウス・ユリアヌスに敗れた。
以上のようにフラウィウス朝の血統は少なくとも、ドミティアヌスの暗殺から約120年後の3世紀初めまで続いた。
フラウィウス朝皇帝一覧
系図
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T・フラウィウス・ ペトロ(en) |
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T・フラウィウス・ サビヌス1世 (en) |
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ウェスパシア・ ポッラ (en) |
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サビヌス2世 (en) |
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ケリアリス |
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ウェスパシア |
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1 ウェスパシアヌス (在位69年-79年) |
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大ドミティラ (en) |
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サビヌス3世 (en) |
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小ドミティラ (en) |
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アレキナ・ テルトゥラ |
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2 ティトゥス (79年-81年) |
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3 ドミティアヌス (81年-96年) |
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ドミティア・ ロンギナ |
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サビヌス4世 (en) |
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クレメンス (en) |
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聖ドミティラ (en) |
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マルキア・ フルニッラ |
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ユリア・ フラウィア |
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ウェスパシアヌス |
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ドミティアヌス |
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関連項目
フラウィウス朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:48 UTC 版)
詳細は「フラウィウス朝」を参照 肖像名称生年と誕生地在位期間即位背景没年と死因 ウェスパシアヌス TITVS FLAVIVS CAESAR VESPASIANVS AVGVSTVS 9年11月17日フラシリネ(イタリア本土) 69年7月1日 – 79年6月23日 フラウィウス氏族出身。フラウィウス朝の初代皇帝。 79年6月23日 自然死 ティトゥス TITVS FLAVIVS CAESAR VESPASIANVS AVGVSTVS 39年12月30日ローマ(イタリア本土) 79年6月24日 – 81年9月13日 フラウィウス氏族出身。ウェスパシアヌスの長男。フラウィウス朝の第2代皇帝。 81年9月13日 病死 ドミティアヌス TITVS FLAVIVS CAESAR DOMITIANVS AVGVSTVS 51年10月24日ローマ(イタリア本土) 81年9月14日 – 96年9月18日 フラウィウス氏族出身。ウェスパシアヌスの次男。兄ティトゥスが病に伏せると兄の生存中だったが帝位を掌握した。 96年9月18日 召使による暗殺
※この「フラウィウス朝」の解説は、「ローマ皇帝一覧」の解説の一部です。
「フラウィウス朝」を含む「ローマ皇帝一覧」の記事については、「ローマ皇帝一覧」の概要を参照ください。
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