テオドシウス朝とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > テオドシウス朝の意味・解説 

テオドシウス朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 13:34 UTC 版)

ローマ帝国
Imperium Romanum
379年 - 457年
テオドシウス1世のミッソリウム英語版

東西ローマ帝国(395年)
首都 ローマ
コンスタンティノープル
ラヴェンナ
西ローマ皇帝
395年 - 423年 ホノリウス
425年 - 455年 ウァレンティニアヌス3世
東ローマ皇帝
379年 - 395年 テオドシウス1世
395年 - 408年 アルカディウス
408年 - 450年 テオドシウス2世
450年 - 457年 マルキアヌス
変遷
ハドリアノポリスの戦いウァレンスが死亡 378年
テオドシウス1世の即位 379年
マルキアヌス死亡 457年1月27日

テオドシウス朝(テオドシウスちょう、英語: Theodosian dynasty)は、379年に東方正帝として即位したテオドシウス1世から始まり、457年までローマ帝国を支配した王朝である。

概要

テオドシウス1世は西方正帝グラティアヌスによって彼の共同皇帝として東方正帝に選ばれたが、グラティアヌスの死後は次第に西方正帝を傀儡化し、ローマ帝国の東西領域を実質的に単独支配した。

395年のテオドシウス1世の没後、彼の2子によって帝国の分割統治が行われた。帝国の分割統治はそれ以前から行われていたものの、この分割以降にローマ帝国で東西宮廷の対立が深刻となったため、日本ではこの時をもってローマ帝国が東ローマ帝国西ローマ帝国に分裂したとみなされている。

東では450年まで(テオドシウス1世の孫婿にあたるマルキアヌスを含めると457年まで)、西では455年まで続いた。

歴史

テオドシウス大帝

アルカディウスとホノリウス

テオドシウス2世とウァレンティニアヌス3世

歴代君主

西方帝

東方帝

系図

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アエリア・フラキア
 
テオドシウス1世
 
ガッラ
ウァレンティニアヌス1世娘)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アルカディウス
東ローマ帝
 
ホノリウス
西ローマ帝
 
ガッラ・プラキディア
 
コンスタンティウス3世
西ローマ帝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
マルキアヌス
東ローマ帝
 
アエリア・プルケリア
 
 
 
 
 
テオドシウス2世
東ローマ帝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アエリア・マルキア
 
アンテミウス
西ローマ帝
 
ペトロニウス・マクシムス
西ローマ帝
 
リキニア・エウドクシア
 
ウァレンティニアヌス3世
西ローマ帝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
リキメル
 
アリピア
 
 
 
フネリック
ヴァンダル王
 
エウドキア
 
プラキディア
 
オリブリオス
西ローマ帝
 
 
 
 

文化

脚注

  1. ^ Theodosius I (top), Arcadius (left), and Honorius (right)
  2. ^ d·d·d·n·n·n·auggg· ("Our Lords the Augusti") : Theodosius (centre), Arcadius (left), Honorius (right)
  3. ^ d·n· arcadius p·f· aug· ("Our Lord Arcadius, Pious Happy Augustus")
  4. ^ Inscription: ael· eudoxia aug· ("Aelia Eudocia Augusta")
  5. ^ Inscription: d·n· honorius p·f· aug· ("Our Lord Arcadius, Pious Happy Augustus"), from Hoxne hoard
  6. ^ Inscription: d·n· galla placidia p·f· aug· ("Our Lady Galla Placidia, Pious Happy Augusta") The reverse shows Victory and a crux gemmata
  7. ^ Theodosius II (centre) blessing Valentinian III (left) and Theodosius' daughter Licinia Eudoxia (right)
  1. ^ テオドシウス1世の娘婿・共治帝。
  2. ^ コンスタンティウス3世の子。ホノリウスの没後、元老院によって擁立された西方帝ヨハンネス(在位423年 - 425年)を倒して即位。
  3. ^ 379年-394年まではウァレンティニアヌス朝の東方帝。
  4. ^ アルカディウスの娘婿。

参考文献

  • 後藤篤子「テオドシウス朝」『世界大百科事典 第19巻』(平凡社、2007年改訂新版)

関連項目


テオドシウス朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:48 UTC 版)

ローマ皇帝一覧」の記事における「テオドシウス朝」の解説

詳細は「テオドシウス朝」を参照 肖像名称生年誕生在位期間即位背景没年死因 テオドシウス1世大帝” FLAVIVS THEODOSIVS AVGVSTVS 東ローマ 347年1月11日カウカ属州ヒスパニア379年1月1日395年1月17日 ローマ軍将軍であった大テオドシウス息子として生まれ、自らも軍人として栄達する。東方正帝ウァレンスゴート族との争い敗死した後、西方正帝グラティアヌスによって東方担当共同皇帝任命されるグラティアヌス没後、その異母弟ウァレンティニアヌス2世傀儡化し実質的にローマ帝国全土単独支配した395年1月17日 自然死 アルカディウス FLAVIVS ARCADIVS AVGVSTVS 東ローマ 377年 383年1月408年5月1日 テオドシウス1世長男東方担当皇帝となるが、この時代から東西分割深化進んでいく(東ローマ帝国)。 408年5月1日 自然死 ホノリウス FLAVIVS HONORIVS AVGVSTVS 西ローマ 384年9月9日 393年1月23日423年8月15日 テオドシウス1世次男西方担当皇帝となるが、この時代から東西分割深化進んでいく(西ローマ帝国)。 423年8月15日 自然死 コンスタンティウス3世 FLAVIVS CONSTANTIVS AVGVSTVS 西ローマ 生年不明ナイッスス(属州モエシア421年2月8日421年9月2日 テオドシウス1世娘婿で、アルカディウスホノリウス義弟ホノリウス共同皇帝務める。 421年9月2日 自然死 テオドシウス2世 FLAVIVS THEODOSIVS AVGVSTVS 東ローマ 401年4月10日コンスタンティノープル属州トラキア408年5月1日450年7月28日 アルカディウス息子テオドシウス大城壁など、帝国東方防衛強化進める。跡継ぎ持たないまま病没した。 450年7月28日 自然死 ヨハンネス IOHANNES AUGUSTUS 西ローマ 不明 423年8月27日425年5月 ホノリウス死後、テオドシウス朝を疎んだ元老院から推挙され皇帝となる。しかし東方正帝テオドシウス2世派遣したゲルマン人将軍アスパル敗れて処刑された。 425年5月 アスパルにより処刑される ウァレンティニアヌス3世 FLAVIVS PLACIDIVS VALENTINIANVS AVGVSTVS 西ローマ 419年7月2日ラヴェンナイタリア本土424年10月23日455年3月16日 コンスタンティウス3世息子で、テオドシウス1世の孫。ヴァンダル族フン族侵略により西方領土弱体化が進む。跡継ぎ持たないままに暗殺される455年3月16日 暗殺される マルキアヌス FLAVIVS MARCIANIVS AVGVSTVS 東ローマ 396年 450年夏 – 457年1月 テオドシウス2世義兄(姉の夫)。義弟同様に跡継ぎ恵まれず、彼とその妻の死によってテオドシウス家は断絶した457年1月 自然死

※この「テオドシウス朝」の解説は、「ローマ皇帝一覧」の解説の一部です。
「テオドシウス朝」を含む「ローマ皇帝一覧」の記事については、「ローマ皇帝一覧」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「テオドシウス朝」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「テオドシウス朝」の関連用語

テオドシウス朝のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



テオドシウス朝のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのテオドシウス朝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのローマ皇帝一覧 (改訂履歴)、西ローマ帝国 (改訂履歴)、東ローマ帝国の皇帝一覧 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS