ローマ帝国の東西分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 09:29 UTC 版)
「古代末期のキリスト教」の記事における「ローマ帝国の東西分裂」の解説
西ローマ帝国皇帝ウァレンティニアヌス3世(在位:424年 - 455年)はゲルマン民族の割拠に対して無策で、アフリカ属州、ブリタンニア、イスパニア、ガリアの大部分、シチリア島を失ったあと、暗殺された。 457年、東方帝マルキアヌスが死ぬとテオドシウス朝が断絶して、東西帝室は血縁関係もなくなり、東西分離が決定的になった。
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