ローマ帝国の誕生と「パクス・ロマーナ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:14 UTC 版)
「イタリアの歴史」の記事における「ローマ帝国の誕生と「パクス・ロマーナ」」の解説
紀元前27年、オクタウィアヌスは元老院からアウグストゥスとプリンケプス(第一の市民)の称号を送られ、インペラートル(この時はローマ軍団の最高司令官という意味)となった。 アウグストゥスは、共和政をないがしろにすることはなかったが、実質的に皇帝として統治したため、これよりローマ帝国が誕生したとされる。実際に帝政がより明らかになるのは、アウグストゥスの養子ティベリウスが後を継いでからである。 帝国の成立はその属州に平和と安定をもたらし、属州は帝国に繁栄をもたらした。それとともにローマ市民権もゆっくりと属州に広がり、法規も不完全なものが多かったが、行政官による恣意的なものではなくなった。 ローマ帝国の版図もさらに拡大された。最も顕著なものは、47年の皇帝クラウディウスによるブリタンニアの征服である。 1世紀は、ほとんど内乱と暴動の鎮圧に費やされた。「四皇帝の年」として知られる内戦中にユダヤ属州で起きたユダヤ人の暴動以外にも、ゲルマン人やダキア人、カレドニア人や東方の大国パルティアとの戦争が相次いだ。 2世紀の前半は、トラヤヌス、マルクス・アウレリウス・アントニヌスら五賢帝と称される皇帝による治世の下、帝国は最盛期を迎えた。歴史家のエドワード・ギボンは、もしもその状況が見かけほど良くなくても、人びとにとっては最も平和な時代であっただろうと述べている。(パックス・ロマーナを参照)
※この「ローマ帝国の誕生と「パクス・ロマーナ」」の解説は、「イタリアの歴史」の解説の一部です。
「ローマ帝国の誕生と「パクス・ロマーナ」」を含む「イタリアの歴史」の記事については、「イタリアの歴史」の概要を参照ください。
- ローマ帝国の誕生と「パクス・ロマーナ」のページへのリンク