ローマ帝国の継承者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:15 UTC 版)
「東ローマ帝国」の記事における「ローマ帝国の継承者として」の解説
西方領土と東方領土とでは「ローマ帝国」に対する認識は微妙に異なるものであった。政治的・法的・文化的それぞれの側面で異なっていた。法的にはローマ法を受け継ぎ、「コンスタンティノープルの皇帝は、ローマ皇帝の唯一の法的に正統な継承者であると自任し」、「『ローマ法大全』は、九世紀にはギリシア語版『バシリカ法典』として再編されて、ずっと国家の基本法であり続け」、「哲学・歴史学・文学の重要な作品はビザンツ帝国において書き継がれ」、「自分たちはギリシア古典、ローマ法の世界に生きているとビザンツ人は考えていた」。一方、政治体制についての認識はこれとは大分異なっていた。西ヨーロッパではローマ帝国はロームルスのローマ建設神話から王政・共和政と変化してきたローマ共同体の政治史の一部だったが、一方の東ローマ帝国においてはカエサル以前のローマ共同体を自分たちの歴史の一部であるとする意識は薄かった。東ローマ帝国におけるローマ帝国とは旧約聖書の『ダニエル書』に見られる帝国交替史に基づいたもので、それはバビロニア帝国・ペルシア帝国・アレクサンドロス帝国から受け継いだ「文明世界を支配する帝国」「キリストによる最後の審判まで続く地上最後の帝国」としての存在だった。ビザンツ人にとってみれば、カエサル以前のローマ帝国よりはペルシア帝国の方が自分たちとつながりのある世界だったのである。自らをキリスト教的意味での「世界史」に位置づける強い意識は、世界創造紀元の使用にも現れている。
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