ローマ帝国下の繁栄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 05:47 UTC 版)
紀元前89年、アクイレイアはムニキピウム(municipium)となり、市民はウエリナ(Velina)というトリブス(tribus)に帰属することになった。キケロの頃には関税境界も撤廃された。 初代皇帝アウグストゥスの時代(前27年~紀元14年)にはIapydes人の略奪を受けたが、その後再建を果たしている。アウグストゥスは紀元前12年~10年のパンノニア戦争中にこの町を訪問している。アウグストゥスの娘ユリアと2代皇帝ティベリウスの息子がこの町で生まれているが、夭折した。紀元7年に本国第10州「ヴェネツィア・エト・ヒストリア」 (it:Regio X Venetia et Histria) が設置されると、1世紀を通じて文化と経済は大きく発展し「第二のローマ」とまで呼ばれるようになった。 アクイレイアは、帝国の北東部の都市ウェルディデナ(インスブルック)へ向かうユリア・アウグスタ街道 (it:Via Iulia Augusta) の出発点であった。この街道はいくつもの道を枝分かれさせており、ドナウ川沿いのノリクムに向かう道はウィルヌム(クラーゲンフェルト)を経てリーメス沿いのラウリエウム(ロルヒ)へ、パンノニアに向かう道はアエモナ(リュブリャナ)、シルミウム(スレムスカ・ミトロビツァ)へ繋がっていた。また、アドリア海沿いにタルサティカ(リエカ近郊)やシスチア(シジャク)に向かう道は、タルゲステ(トリエステ)やイストリアの沿岸都市を結んでいた。 町にはイタリア出身の人々のほか、ケルト人、イリュリア人、ギリシア人、エジプト人、ユダヤ人、シリア人が暮らし、商業発展に貢献していた。宗教面では、土地の太陽神ベレヌスを置き換えたローマの神殿信仰が大きな支持者を持っていた。ユダヤ人は祖先からのユダヤ教の戒律を実践していたが、ユダヤ人のうちから最初のキリスト教徒になった人々も出てきたと考えられている。兵士たちの中にはミトラ教を奉じる者もあった。 ユダヤ人職人の手がけるガラス工芸品は、この町の特産品となった。この町の輸出品目にはワインもあり、とくに Pucinum が有名である。また、バルト海との琥珀交易も続いていた。ノリクムで産出される金属はこの町で鍛造されて取引され、油はアフリカ属州からもたらされていた。 167年のマルコマンニ戦争で、アクイレイアは激しい攻勢にさらされた。アクイレイアの防壁は、長い平和の間に弱体化していた。168年、マルクス・アウレリウス帝はアクイレイアを帝国東北部第一の要塞都市として修築し、蛮族の脅威に備えた。都市は最盛期を迎え、人口は10万人を数えた。238年、最初の軍人皇帝マクシミヌス・トラクスに対して元老院が反旗を翻した際、アクイレイアは元老院側に立って戦った。防備を急ぎ固めたアクイレイアの町は、マクシミヌス・トラクスが暗殺されるまでの数ヶ月間攻撃に耐え、その堅牢さを証明した。 ディオクレティアヌス帝(在位: 284年 - 305年)の治世、アクイレイアには宮殿が建設され、以後の皇帝はしばしば滞在した。アクイレイアが造幣所を持ち、独自の通貨を作るようになったのもディオクレティアヌス帝の治世である。コンスタンティヌス1世(在位: 306年 - 337年)もこの町に長く滞在し、その治世の重要な出来事のいくつかはこの町で行われた。また、アクイレイアは海軍の基地となり、ヴェネツィア・エト・ヒストリア州の知事 (it:Corrector) の治所であった。4世紀の終わり、アウソニウスは世界で9番目に大きな都市としてアクイレイアを挙げ、ローマ、メディオラヌム(ミラノ)、カプアに次いで言及している。 重要な都市であるアクイレイアは、しばしば争奪の舞台となった。340年、コンスタンティヌス1世の死後に発生した3人息子たちの争いの中で、アクイレイアを奪おうと侵攻した長男コンスタンティヌス2世は、三男コンスタンス1世に敗れ、この町の城壁の下で殺害されている。 コンスタンティヌス1世によってミラノ勅令(313年)が出され、キリスト教が公認された後、司教テオドーロ (it:Teodoro di Aquileia) は最初の教会を設立した。アクイレアの教会は東方地域(ドナウ川、ハンガリー、イストリア、バルカン方面)の布教において拠点としての役割を持つこととなった。アクイレイアの司教は首都大司教(metropolitan archbishop)の格に位置づけられた。381年に最初の会議が開かれて以来、この町では数世紀に亘って教会会議の舞台となった (Councils of Aquileia) 。
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