ローマ帝国属州アフリカとは? わかりやすく解説

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ローマ帝国属州アフリカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 22:24 UTC 版)

チュニジアの歴史」の記事における「ローマ帝国属州アフリカ」の解説

詳細は「アフリカ属州」を参照 カルタゴ滅亡すると、領土全てローマアフリカ属州組み込まれた。ローマ共和国統治下でカルタゴ市は再建され北アフリカ中心都市として栄えたローマ風の建築物建てられるなどローマ化進みキリスト教普及していった。 ローマ帝国の東西分裂後、チュニジア西ローマ帝国統治下に置かれた。5世紀になるとゲルマン系ヴァンダル人侵入しヴァンダル王国建国された。ヴァンダル王国一時西地中海制海権おさえて繁栄したものの、534年東ローマ帝国ユスティニアヌス帝によって滅ぼされ、これ以降東ローマ帝国組み入れられた。 7世紀からイスラーム勢力ウマイヤ朝チュニジアにまでジハード敢行し、アラブ人侵入進んだ640年以来カルタゴアラブ艦隊攻撃を受けるようになり、670年にはアラブ人支配地域カイラワーン建設された。東ローマ帝国ベルベル人共同アラブ人戦い683年襲撃してきたアラブ軍を撃退した。この敗退によってカイラワーンベルベル人支配下置かれたが、688年アラブ軍がカイラワーン奪回しその後ハッサーン・イブン・ヌマーン(英語版)の遠征によって692年カルタゴウマイヤ朝によって攻略された。697年東ローマ帝国カルタゴを再攻略したが、ハッサーン率いウマイヤ朝軍にベルベル人率いた女王カーヒナ(英語版)と東ローマ帝国連合軍敗れ698年アラビア人カルタゴを再奪取し、カーヒナは戦死したカルタゴ戦い (698年)(英語版))。こうして紀元前から続いたローマ人アフリカ支配終焉し、ベルベル人アラブ支配服することになった

※この「ローマ帝国属州アフリカ」の解説は、「チュニジアの歴史」の解説の一部です。
「ローマ帝国属州アフリカ」を含む「チュニジアの歴史」の記事については、「チュニジアの歴史」の概要を参照ください。

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