ローマ帝国分割の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 03:33 UTC 版)
「アウグストゥス (称号)」の記事における「ローマ帝国分割の時代」の解説
3世紀にディオクレティアヌス帝がテトラルキア(四分統治)を創設すると、ローマ帝国は東と西に分けられ、東西それぞれに正帝と副帝の2人ずつの皇帝が存在することになった。そして、「アウグストゥス」は東西の「正帝」の称号と定められ、「カエサル」が「副帝」の称号と定められた。 東ローマ帝国はギリシア語圏を主な領土としていたために、前述の皇帝の主な称号は7世紀にはギリシャ語に置き換わった。"imperator"(インペラトル)は "autokratôr"(アウトクラトール) に、"caesar"(カエサル)は "kaisar" (カイサル)に、"augustus"(アウグストゥス)は "augustos" (アウグストス。または "sebastos" セバストス)になった。また元々はギリシア語で「王」を示す言葉だった「バシレウス」も称号として用いられるようになった。そしてギリシア語化した称号は、東ローマ帝国において1453年の帝国滅亡まで使用された。ただし、11世紀以降はカイサルやセバストスの称号は皇帝以外の人間も使う爵位となった。
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