ローマ帝国崩壊時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 05:15 UTC 版)
西ローマ帝国が崩壊する4世紀から5世紀にかけて、ヴィッラは孤立を強め、周囲に壁を建設して防護するようになった。イングランドでは5世紀に入るとアングロ・サクソン人が侵入してきたため、ヴィッラが放棄されたり、略奪されたり、燃やされたりした。他の地域では貴族や大地主が大規模なヴィッラを修道士に寄贈し、それが有名な僧院の母体になった例がしばしば見られる。そのようにして、古代末期のヴィッラのシステムが中世初期にも保持された。ヌルシアのベネディクトゥスが創立したモンテ・カッシーノの僧院は、元々はネロが所有していたスビアーコのヴィッラの廃墟に建てられた。聖エリギウスは590年ごろ、アキテーヌのリモージュに近いChaptelatのヴィッラに住むガロ・ローマ文化圏の上流階級の家に生まれた(現在のフランス)。650年ごろ設立されたスタヴロの修道院はリエージュ近郊のヴィッラの領地に建てられたもので、ヴェズレーの修道院も似たような経緯で設立されている。698年までに、ウィリブロードはルクセンブルクのトリーアに近いエヒタナハの古代ローマのヴィッラに修道院を創設した。その土地は、フランク人の王ダゴベルト2世の娘イルミナから寄贈されたものだった。
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