ガラス工芸とは? わかりやすく解説

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ガラス工芸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/13 05:35 UTC 版)

Tyler Hopkinsによるガラスボール
ローマングラスの発掘品
江戸切子
箱根ガラスの森美術館のお土産

ガラス工芸(ガラスこうげい、英語:Glass art)とは、ガラスを用いた工芸美術の総称である。ガラス造形・ガラスアート・グラスアートという場合もある。

日用品、骨董アンティーク美術品工芸品現代アートまで、非常に広い範囲の創作表現方法、創作物を含む。

「ガラス工芸」は、制作工法・素材・年代・地域・素材・メーカーなどに多岐の分類が可能。その歴史は、紀元前以来のガラスの歴史に遡る。

2023年、チェコフィンランドフランスドイツハンガリースペインの「手作りガラスの知識工芸と技術」はユネスコ無形文化遺産に登録された[1]

スタジオグラス

スタジオグラスは、現代ガラス・スタジオガラス・モダングラスともいわれる。

主に工業的なプロダクトやデザインを手がけていた企業内のガラスデザイナー・ガラス作家・職人(クラフトマン)による発展から、1970年代に主としてアメリカで起こった「スタジオグラス」運動(ムーブメント)を受けて、個人制作者(作家・工房)による非営利的な部分を持った独自で多彩なアート表現を持った制作も盛んになり発展をしてきた。

当初は、工業生産的な流れから発展したものと、個人制作家たちによるものの流れが別種のものとしてあったものの、現在では、販売やギャラリーを通じてやガラス学校の創設による師弟の関係、あるいは作家の団体や各種コンテストなどの場において、個人・企業出身を問わず多くの接点をもって発展している。また観光地でのお土産や体験を中心にした地方での工房展開も見られる。

ガラス工芸技法

加工温度により、熔融または軟化させて行うホットワークキルンワーク、常温で行うコールドワークに分けられる。

ホットワーク(ホットテクニック)

  • ホットキャスト、キルンキャスト - 粘土ワックスで作った原型を耐火石膏等で型取りし、そこへ溶融ガラスを流し込んで鋳造する。
  • 吹きガラス、グラスブローイング - 吹き竿に巻き取ったガラス種に、息を吹き込んで膨らませる。
紀元前1世紀頃のフェニキアで成立[2]し、現代でもほとんどその方法は変わっていない。肥前びーどろ、佐賀ガラスも、江戸時代の「ジャッパン吹き」技法を継承している。

コールドワーク(コールドテクニック)

ガラス工芸を収集する美術館・博物館

ガラス教育機関

日本の国内にある専門学科・コースを持つ学校は、ガラス教育者ネットワーク(通称・GEN)を組織し、交流している。

また、了徳寺大学東京都立大江戸高等学校等のようにガラス工芸を科目として開講している学校や、市民大学講座、ガラス工房、各種カルチャースクールでは、ステンドガラス・トンボ玉など小規模なものを中心にした講座も見られる。

主なガラス工芸作家

日本

日本の著名なガラス作家の多くは、創作作家やデザイナーの組織である日本ガラス工芸協会(JGAA、略称・ガラ協)に所属している。3年に一度所属作家の作品展「日本のガラス展」を実施している。また、ガラス工芸・文化・歴史・考古の研究者や作家等の組織で、研究と振興を目的とする日本ガラス工芸学会に参加しているものも多い。

日本以外

脚注

関連文献

  • 賀澤勝利「ガラス細工」『化学と教育』第67巻第3号、日本化学会、2019年、122-123頁、doi:10.20665/kakyoshi.67.3_122  :実験用ガラス細工について

関連項目

外部リンク


ガラス工芸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/31 13:56 UTC 版)

カルモー」の記事における「ガラス工芸」の解説

カルモーにおいて初めてガラス工芸が行われたのは、ブレ・レ・ミーヌにガブリエル・ド・ソラージュが持つドメーヌにおいてで、1754年5月2日のことである。彼らは王家諮問委員会判断受けて行った。ガラス工芸では火を必要とするためカルモー石炭消費した1850年代までは、生産量年間500本を超えず、会社百人従業員雇用していた。1856年、ガラス工芸工場はウジェーヌ・レセギエ(トゥールーズ裕福なガラス瓶商人)に貸し出された。彼は1862年にサント・クロティルド・ガラス工場建設した。そこは、1857年からアルビと、1864年からトゥールーズカルモー区間をつなぐ新しい鉄道駅に近接していた。レセギエが後押しをして、産業成長した。サント・クロティルド工場では1880年300人の従業員がいた。様々な機械化プロセス、そして5機の新しシーメンス高炉購入後、1887年には800人の従業員抱えた一日生産量ボトル3本に達したブドウ襲ったフィロキセラ流行と、機械化事業とガラス工芸に従事する労働者賃金影響与えた労働者1890年にガラス工芸労働組合会議所を結成した前述のように、1892年7月、サント・クロティルド工場賃金労働者ジャン・バティスト・カルヴィニャックは、彼の労働組合活動関連する不在理由解雇された。カルヴィニャックを支援しようと、他の労働者たちは約4か月ゼネスト続けた妥協しないレセギエはロックアウト課したジャン・ジョレス労働者側を支援したにもかかわらず、レセギエが県当局支援受けて勝利したフランス全土から労働者人事募集し雇用したうえで工場再稼働したのであるストライキ行っていた工場の元労働者たちは、ジャン・ジョレス寄付者支援を受け、1896年アルビに完全な自己管理型のガラス工場創設した。同じころ、サント・クロティルド工場1931年まで稼働した。サント・クロティルドでの製造過程は、さらに人手のかかる余地少なくなった。ガラス空気送り込む送風機械化されたためである。

※この「ガラス工芸」の解説は、「カルモー」の解説の一部です。
「ガラス工芸」を含む「カルモー」の記事については、「カルモー」の概要を参照ください。

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