1850年代
1850年代
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シベリア鉄道の計画は1850年から始まり、その初期段階は1860年代まで続く。 ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキーは、1850年に黒竜江(アムール川)河口を占拠。その後、遠征の功を挙げると、韃靼海峡のカストリ湾とアムール江岬のソフィウィスクとを連結する馬車道を建設しようとした。しかし、これは果たせずに終わった。また、同時にイギリス人技師ダンはニジニ・ノヴゴロドよりカザン及びペルムを経て、太平洋岸の一港に達する馬車道建設を発議したが、政府は耳を傾けなかった。同年、アメリカ人コリンズはアムール鉄道株式会社を設立し、イルクーツク - チタ間に鉄道を敷設する請願を出したが、精密な調査の後に廃棄された。 その他計画、請願は多数に登ったものの、いずれも実行に移されることはなかった。しかし、その中で優れたものとしては、1862年のココレフ会社が計画したボルガ川・オビ川間の線路――ペルムよりニジニ・タギルを経てチュメニに達するものがあった。
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1850年代
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詳細は「1850年代」を参照 1850年オルミュッツ協定(オルミュッツの屈辱)。 バーブ教開祖セイイェド・アリー・モハンマド(バーブ)がイラン政府に銃殺される。 清で太平天国の乱(- 1864年)。 清の咸豊帝が第9代皇帝に即位。 1851年世界初の万国博覧会がロンドンで開催され、水晶宮が建設される。 ウルグアイ内戦が終結(1839年 - )。 漂流民だったジョン万次郎が日本に帰国する。 1852年ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)がフランス皇帝に就任(フランス第二帝政)。 世界初の百貨店としてパリのボン・マルシェ百貨店が開業。 カヴールがサルデーニャ王国の首相となる。 ハリエット・ビーチャー・ストウ『アンクル・トムの小屋』を発表。 モンテネグロがオスマン帝国から事実上独立し、モンテネグロ公国が成立。 河北潟干拓の疑獄事件で金沢藩御用商人銭屋五兵衛が獄死。 1853年クリミア戦争(- 1856年)。 セーヌ県知事オスマンによるパリ大改造始まる。 黒船来航。徳川家定が江戸幕府第13代将軍となる。 琉球を経て、ペリーが浦賀に来航。 プチャーチンが長崎に入港。 太平天国軍が南京を占領、天京と改称して都として建国。張楽行らが率いる華北各地の捻軍も太平天国に呼応。 1854年ペリーの再来航による日米和親条約締結(日本の開国)。老中阿部正弘らによる安政の改革( - 1857年)。 日本で安政東海地震、安政南海地震。大坂で8代目市川團十郎が自殺する。 広東省の珠江デルタ西岸の四邑地域で「土客大械闘」が起こる。 アメリカ合衆国でカンザス・ネブラスカ法の制定。 1855年万国博覧会がパリで開催され、産業宮が建設される。 タイとイギリスでボーリング条約(英泰友好通商条約)締結。 日本で安政江戸地震。京都御所が再建がされる(安政の造営)。 1856年クリミア戦争講和のためのパリ条約締結。 日本のアメリカ合衆国総領事としてハリスが着任。 オスマン帝国で改革勅令(ハッティ・フマユーン)が公布される。オスマン宮廷がトプカプ宮殿からドルマバフチェ宮殿に移される。 雲南省で杜文秀による回民反乱(パンゼーの乱)が起こる( - 1873年)。 天京事変により太平天国が内部分裂。 1857年アロー戦争(-1860年)。 インド大反乱(セポイの乱)。ムガル皇帝バハードゥル・シャー2世が擁立される。 1857年恐慌。 1858年バハードゥル・シャー2世が廃位されミャンマーに流刑。ムガル帝国滅亡。 フェリーチェ・オルシーニによるナポレオン3世暗殺未遂事件。 清とイギリス・フランスが天津条約を締結。清とロシアがアイグン条約を締結。 井伊直弼が大老となり、 老中堀田正睦らが失脚。日米修好通商条約を含む安政五ヶ国条約が締結される。 徳川家茂が江戸幕府第14代将軍となる。 安政の大獄始まる。安政5年のコレラ大流行。 福沢諭吉が慶応義塾大学のもととなる蘭学塾を創設。 1859年スエズ運河の建設はじまる( - 1869年)。 イタリア統一戦争開始、ソルフェリーノの戦い、ヴィッラフランカの和約。 ウェストミンスター宮殿(イギリス国会議事堂)の大時計台ビッグ・ベンが完成。 ダーウィン『種の起源』で進化論を発表。 ハーパース・フェリーでのジョン・ブラウンの反乱。 オスマン帝国の属国だったワラキアとモルダヴィアが統合し、ルーマニア公国が成立。
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1850年代
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「アメリカ合衆国領土の変遷」の記事における「1850年代」の解説
1850年9月9日 1850年協定の一部としてメキシコ割譲地が分割された。割譲地の西部は合衆国第31番目の州、カリフォルニア州として加盟を認められた。残りはユタ準州とニューメキシコ準州として編成された。両準州にはテキサス州がその負債の見返りとして連邦政府に譲渡した土地も含まれた。テキサス州とメキシコ割譲地の一部は非自治的領域となった。テキサス州北部の小さな帯状地はどの州や準州にも公式に割り当てられないという特異な状況が現出した。ここは中立帯あるいは「無人の土地」と呼ばれるようになり、現在ではオクラホマ州のオクラホマ・パンハンドルに相当する。ニューメキシコ準州は現在のアリゾナ州とニューメキシコ州の大半と、コロラド州の南部およびネバダ州南端から構成された。ユタ準州は現在のユタ州、ネバダ州の大半およびコロラド州とワイオミング州の一部から構成された。 1853年3月2日 オレゴン準州からワシントン準州が分離され、現在のワシントン州、アイダホ州北部およびモンタナ州西端から構成されることになり、オレゴン準州は現在のオレゴン州全域、アイダホ州南部およびワイオミング州の一部ということになった。 1853年12月30日 ガズデン購入により、現在のアリゾナ州とニューメキシコ州の南端部に相当する地域がニューメキシコ準州に付加された。 1854年5月30日 カンザス準州とネブラスカ準州が編成された。残る非自治的領域はインディアン準州と呼ばれるようになった。カンザス準州は現在のカンザス州とコロラド州東部で構成され、ネブラスカ準州は現在のネブラスカ州とコロラド州、モンタナ州、ノースダコタ州、サウスダコタ州およびワイオミング州の一部で構成された。インディアン準州はオクラホマ州東部に相当する。 1858年5月11日 ミネソタ準州東部が合衆国第32番目の州、ミネソタ州として加盟した。準州の残りは非自治的領域となった。 1859年2月14日 オレゴン準州西部が合衆国第33番目の州、オレゴン州として加盟した。準州の残りはワシントン準州に割り当てられた。
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