1380年代
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1380年代(せんさんびゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1380年から1389年までの10年間を指す十年紀。
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1380年代
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詳細は「1380年代」を参照 1380年クリコヴォの戦いでルーシ諸侯連合軍がジョチ・ウルスに勝利。 キオッジャの戦いでヴェネツィアがジェノヴァに勝利し覇権を確立する。 胡惟庸の獄。洪武帝が中書省を廃止し、六部を皇帝の直属とする。五軍都督府の設置。 1381年イングランドでワット・タイラーに率いられた農民・労働者が暴動を起こす(ワット・タイラーの乱)。 明で全国に里甲制を導入し、魚鱗図冊・賦役黄冊の作成を行う。万里の長城の最東端にある山海関が整備される。 雲南地方の梁王バツァラワルミが明に滅ぼされる。 オスマン帝国のムラト1世が東ローマ帝国を属国とする。 1382年明で錦衣衛が創設される。 足利義満により相国寺が創建される。北朝第6代後小松天皇が即位する。 ポーランドのチェンストホヴァのヤスナ・グラ修道院に「黒い聖母」が納められる。 ナポリ女王ジョヴァンナ1世が暗殺され、アンジュー家傍流のカルロ3世が即位。 ハーッジー2世を廃位したバルクークがマムルーク朝の君主となる(バフリー・マムルーク朝からブルジー・マムルーク朝へ)。 1383年長慶天皇が譲位し、第99代後亀山天皇が即位。 1385年ポーランド王国とリトアニア大公国がクレヴォの合同を結ぶ。 ジョアン1世がアヴィス朝を創始。アルジュバロタの戦いでカスティーリャ王国軍撃破。 カンブレー二重結婚。 1386年ポーランド・リトアニア連合王国成立(ヤギェウォ朝)。 ゼンパッハの戦い(英語版)でスイス軍がハプスブルク軍に勝利し事実上の独立を果たす。 フランスでカルージュ対ル・グリ事件(最後の決闘裁判)。 イングランドで「驚嘆議会」が召集される。 南禅寺を首位とし京都・鎌倉を並立させる五山制度が成立する。 1388年ブイル・ノール湖畔の戦いで明が北元に勝利。逃亡したトグス・テムル(天元帝)が殺害され、王子ディボド(地保奴)は琉球に配流される。 北元でクビライ家の皇帝(ハーン)が断絶し、アリクブケ家に帝位が移る。 イングランドで「無慈悲議会」が召集され、国王リチャード2世の寵臣らが弾劾される。 威化島回軍により、李成桂が政変を起こし高麗の実権を握る。 1389年コソヴォの戦いで、オスマン帝国がセルビアを従属させる。オスマン帝国のムラト1世が謁見の際にセルビア人貴族ミロシュ・オビリッチに暗殺される。 ファルシェーピングの戦いで、デンマーク=ノルウェー摂政マルグレーテが勝利し、メクレンブルク家のスウェーデン王アルブレクトを廃位する。
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