1230年代
1230年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:15 UTC 版)
詳細は「1230年代」を参照 1230年寛喜の大飢饉( - 1231年)。 1231年寛喜新制。 メルフィの会議において神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が『皇帝の書(リベル・アウグスタリス)』を発布する。 1232年後堀河天皇が譲位し、第87代四条天皇が即位。御成敗式目ができる。 三峰山の戦いでモンゴル軍が完顔陳和尚率いる金軍を破る。 高麗が開京から江華島に都を遷す。 1233年教皇グレゴリウス9世が異端審問制度を導入し、ドミニコ会に審問を委託する。 1234年モンゴルが蔡州城を制圧し、金が滅ぼされる。 南宋の皇帝理宗が真徳秀らを登用し政治改革を行う(端平更化)。 法然の弟子源智が大谷の坊舎を知恩院として再興。 バグダードにムスタンスィリーヤ学院(英語版)が建立される。 教皇グレゴリウス9世による『グレゴリウス9世教皇令集』が出される。列聖は西方教会では教皇の専権行為となる。 1235年モンゴルの首都カラコルムが建設される。 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世による「マインツのラント平和令(帝国平和令)」。 1235年頃キリーナの戦い(英語版)でスンジャタ・ケイタの率いるマンディンカ族が、スースー王国(英語版)から独立し、マリ王国を建国。 1236年カスティーリャがイスラム支配下のコルドバを奪取。 モンゴルのバトゥの征西が始まり、ヴォルガ川を超える。 九条道家が円爾を開山に迎え京都東福寺が創建される。 高麗高宗の命で高麗八万大蔵経の作成が始まる( - 1251年)(現在は伽耶山海印寺が所蔵)。 1238年タイでスコータイ朝成立。 東ガンガ朝のナラシンハ・デーヴァ1世(英語版)が即位。この王のもとでコナーラクのスーリヤ寺院が建設される。 アラゴン王ハイメ1世によるバレンシアの征服(アラゴン王国のレコンキスタ完了)。 1239年教皇グレゴリウス9世が神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を再破門。皇帝フリードリヒ2世は教皇派のロンバルディア同盟を圧倒。 皇帝党(ギベリン)のヴェローナが北イタリアを席巻し教皇党(ゲルフ)との対立が激化する。
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