1330年代とは? わかりやすく解説

1330年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/08 07:25 UTC 版)

千年紀: 2千年紀
世紀: 13世紀 - 14世紀 - 15世紀
十年紀: 1300年代 1310年代 1320年代 - 1330年代 - 1340年代 1350年代 1360年代
年: 1330年 1331年 1332年 1333年 1334年 1335年 1336年 1337年 1338年 1339年

1330年代(せんさんびゃくさんじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1330年から1339年までの10年間を指す十年紀。

できごと

1331年

1333年

1334年

1335年

1336年

1337年

1338年

脚注

注釈

出典

[脚注の使い方]

関連項目

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、1330年代に関するカテゴリがあります。

1330年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 12:03 UTC 版)

「14世紀」の記事における「1330年代」の解説

詳細は「1330年代」を参照 1330年イングランド王エドワード3世が母后イザベラとマーチ伯を失脚させる。 1330年頃吉田兼好が『徒然草』を執筆。 1331年元弘の乱( - 1333年)。8月 後醍醐天皇が三種の神器を持って笠置山に入る。笠置山の戦い、赤坂城の戦い。 9月 鎌倉幕府の奏請により、量仁親王が即位して北朝初代光厳天皇となる。笠置落ちの後醍醐天皇が捕らえられる。 10月 後醍醐天皇が神器を光厳天皇に渡す。 元朝で「至順2年の疫病」。 1332年鎌倉幕府が後醍醐天皇を隠岐島に流す。佐渡で日野資朝が、鎌倉で日野俊基が処刑される。 デンマーク王クリストファ2世死去、デンマークの空位時代始まる( - 1340年)。 1333年鎌倉幕府の滅亡。2月 千早城の戦い。後醍醐天皇が隠岐島を脱出し、船上山の戦いで幕府軍を退ける。 5月 足利尊氏が六波羅探題を制圧し、近江国番場蓮華寺で幕府軍を壊滅させる。 5月 新田義貞が鎌倉を陥落させる(鎌倉の戦い)。東勝寺で北条氏一族郎党が自害(東勝寺合戦)。 5月 後醍醐天皇が、光厳天皇と正慶の年号を廃止する。 建武の新政の始まり。6月 後醍醐天皇が京都に入る。足利尊氏が鎮守府将軍に、護良親王が征夷大将軍になる。 7月 記録所を復置する。 9月 雑訴決断所を設置する。 1334年二条河原の落書が書かれる。 南禅寺を五山の第一とする。 スコットランド王デイヴィッド2世がフランスに亡命。 1335年北条時行が中先代の乱を起す。足利直義が鎌倉脱出の際に護良親王を殺害。 ハンガリー王カーロイ1世、ポーランド王カジミェシュ3世、ボヘミア王ヨハンによるヴィシェグラード会議。 アヴィニョン教皇宮殿が建設される( - 1364年)。 イルハン朝のアブー・サイードが暗殺され、フレグ王統は断絶。 1336年建武政権の崩壊。1月 後醍醐天皇が足利尊氏追討を命じる(建武の乱)。箱根・竹ノ下の戦いで足利尊氏が結城親光を滅ぼす。 3月 筑前国の多々良浜の戦いで足利尊氏が菊池武敏を破る。 5月 湊川の戦いで足利尊氏が新田義貞・楠木正成を滅ぼす。 6月 足利尊氏が京都を制圧、千種忠顕や名和長年を滅ぼす。 9月 足利尊氏が擁立した北朝第2代光明天皇が即位する。光厳院が治天の君となり、土御門東洞院殿が天皇の御所となる(現在の京都御所の原型)。 11月 後醍醐天皇が北朝に三種の神器を渡す。足利尊氏が是円・真恵兄弟を起草者として『建武式目』を定める。 12月 後醍醐天皇が吉野へ逃れる(南北朝分立( - 1392年))。 ハリハラとブッカがトゥグルク朝から独立を宣言し、ヴィジャヤナガル王国を建国。 1337年イングランドとフランスの間で百年戦争が始まる(-1453年)。 フランドル伯を追放したヤコブ・ヴァン・アルテベルデがフランドル都市連合を結成する。 1338年室町幕府の成立。5月 北畠顕家が高師直らと堺浦石津に戦うが敗死。 7月 新田義貞が斯波高経らと越前藤島で戦うが敗死。 8月 北朝が足利尊氏を征夷大将軍(室町幕府初代将軍)とする。 レンゼ選帝侯会議(ドイツ語版)により、神聖ローマ皇帝の選出にローマ教皇の承認は不必要だと決定される。 カザフスタン東南部のバルハシ湖からイシク湖近辺のステップ地帯でペストが発生。 1339年8月15日、後醍醐天皇が譲位し、第97代後村上天皇が即位。翌16日、後醍醐天皇が52歳で没する。 北畠親房が『神皇正統記』を執筆( - 1343年)。 福建省晋江市に残るマニ教の寺院・草庵摩尼教寺(中国国家重要文化財)が建立される。

※この「1330年代」の解説は、「14世紀」の解説の一部です。
「1330年代」を含む「14世紀」の記事については、「14世紀」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1330年代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ。


英和和英テキスト翻訳

英語⇒日本語日本語⇒英語

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1330年代」の関連用語

1330年代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1330年代のページの著作権

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの1330年代 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの14世紀 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2026 GRAS Group, Inc.RSS