1570年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:08 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 15世紀 - 16世紀 - 17世紀 |
十年紀: | 1540年代 1550年代 1560年代 - 1570年代 - 1580年代 1590年代 1600年代 |
年: | 1570年 1571年 1572年 1573年 1574年 1575年 1576年 1577年 1578年 1579年 |
1570年代(せんごひゃくななじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1570年から1579年までの10年間を指す十年紀。
できごと
1570年
- 姉川の戦い。
- 12月13日 - 北方七年戦争の終結(シュテッティンの和約)
1571年
1572年
1573年
1575年
地域ごとの概況
東アジア
日本
1560年代より続く戦国大名同士の抗争から、戦国大名と室町将軍を擁した織田信長との抗争に推移し、1570年代前半には将軍義昭と信長の険悪化から義昭が反信長勢力の迎合を呼びかけ、信長包囲網が形成され甲斐の武田信玄は西上作戦を実行した。1573年には包囲網を打破した信長が将軍義昭を追放しつつも自身が「天下人」としての地位を保ち続け、1570年代後半には織田信長による国内統一が進んだ。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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1570年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 12:13 UTC 版)
詳細は「1570年代」を参照 1570年ローマ教皇ピウス5世がイングランド女王エリザベス1世を破門(「レグナンス・イン・エクスケルシス」)。 ロシアのイヴァン4世によるノヴゴロド虐殺。 石山合戦が始まる。姉川の戦い。 大村純忠がポルトガルとの貿易拠点として長崎を開港。 1571年スペイン人ミゲル・ロペス・デ・レガスピがフィリピンのマニラを占領。 ポルトガル王セバスティアン1世による日本人奴隷禁止の命令。 レパントの海戦で、ヨーロッパ連合艦隊がオスマン帝国艦隊に勝利。 クリミア・ハン国がモスクワを焼き払う(モスクワ大火 (1571年)(英語版))。 隆慶和議により明とモンゴルの和平が成立、アルタン・ハンは順義王の称号を得る。 比叡山焼き討ち。 1572年明の万暦帝が第14代皇帝に即位。張居正の改革始まる。 サンバルテルミの虐殺。フランス国王シャルル9世の妹マルグリットとナヴァル王アンリの結婚から発生。 ナールデンの虐殺(英語版) ロシアのイヴァン4世がオプリーチニナ制度の廃止を宣言。 ポーランド・リトアニア国王ジグムント2世が男系嗣子なくして死去、ヤギェウォ朝断絶。 1573年室町幕府の滅亡と信長包囲網の崩壊。三方ヶ原の戦い、武田信玄が病死。 上京焼き討ち、槇島城の戦い、織田信長が将軍足利義昭を追放。 一乗谷城の戦い、小谷城の戦い、三好・松永勢力の帰服。 セイム(ポーランド議会)がフランス王子アンリを国王ヘンリク・ヴァレジに選出、ヘンリク条項が採択される。 1574年オスマン帝国がハフス朝を滅ぼしチュニジアを併合。 ムガル皇帝アクバルがアーグラからファテープル・シークリーに遷都。 越前一向一揆蜂起する。 織田信長が「蘭奢待」を切り取る。織田信長が「洛中洛外図屏風(上杉本)」を上杉謙信に贈る。 1575年長篠の戦い。 織田信長が越前一向一揆を鎮圧する。 1576年織田信長が安土城を築く。 イエズス会士オルガンティノにより京都に最初の教会である南蛮寺が建てられる。 足利義昭が毛利輝元を頼り、その勢力下の備後国鞆に移る(鞆幕府)。 1577年信長が紀伊雑賀一揆を攻める。安土城下を楽市とする。 手取川の戦いで上杉謙信が信長に大勝。信貴山城の戦いで松永久秀が自殺。 1578年御館の乱。有岡城の戦い。 アルカセル・キビールの戦い。 アルタン・ハーンがソェナムギャツォを招聘し「ダライラマ(3世)」の称号を贈る。 1579年オスマン帝国大宰相ソコルル・メフメト・パシャが暗殺される。 ネーデルラント南部10州がスペインに帰順しアラス同盟を結成。北部7州は反発しユトレヒト同盟を結成。 天正伊賀の乱。
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