1570年シュパイアー帝国議会
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「帝国クライス」の記事における「1570年シュパイアー帝国議会」の解説
1568年、ユグノー戦争の一時終結により、解雇された大量の傭兵がフランスからドイツ南西部に流れ込むことが予想された。シュヴァーベン・クライスは、この事態への対応を皇帝およびクールライン・クライスと諮り、帝国代表者会議を開催し協議することとした。また、帝国北西部では、オラニエ公ウィレム1世とアルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレドの間で戦闘が始まった(八十年戦争)。ヴェストファーレン・クライスは、この事態に対し近隣クライスに援助要請を行ったが、防衛機能を与えられていない帝国クライスにアルバ公への対処が可能であるかという点が問題となり、やはり帝国代表者会議で諮ることとなった。 こうして開催された1569年の帝国代表者会議では、フランスからの傭兵への対処として総司令官を設け、皇帝マクシミリアン2世がその任にあたった。クールライン、フランケン、バイエルン、シュヴァーベン、オーバーラインの5クライスに兵力提供を、残りの5クライスに資金提供を求めた。こうして皇帝は、期限付きの緊急措置としてではあったが、帝国クライスを自らの管理下に置くことに成功した。その後、フランスで再び内戦が始まり、傭兵による暴力行為の危機は去ったとして、この決定は実行されなかった。一方、対アルバ公問題については結論が得られず、総司令官設置問題とも併せて1570年のシュパイアー帝国議会で協議することとなった。 1570年の帝国議会では、以下の決議がなされた。 募兵の際は、皇帝およびクライス長官に届け出、保証金を支払うこと。 皇帝は、平和破壊活動に対して3つのクライスに援助要請ができること。 皇帝は、マインツ選帝侯に帝国代表者会議の開催を要請できること。 帝国代表者会議のメンバーを4名増員し、各クライスから少なくとも1名は参加すること。 マクシミリアン2世は、前年の緊急措置を永続的なものにしようと画策したが、その目論見は成功しなかった。しかし、1555年の帝国執行令に較べ、皇帝の帝国クライスへの介入は拡大していった。なお、総司令官についての規定は盛り込まれなかった。
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