1572年の超新星
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 06:56 UTC 版)
「ティコ・ブラーエ」の記事における「1572年の超新星」の解説
1572年11月11日に、ティコは(ヘアヴェウ修道院(英語版)から)極めて明るい星を観測した。この星は現在SN 1572とナンバリングされており、予期せずカシオペア座に現れた。古代以来、月軌道を超えた世界は永久不変(天の不変はアリストテレス主義的世界観の基本的な公理であった。)とされていたため、他の観測者たちはこの現象は地上から月までの球より下(the terrestrial sphere below the Moon[訳語疑問点])の現象であると主張した。しかしまず、ティコは観測でこの天体に背景の恒星に対する日周視差が観測されなかったことを示した。これは少なくとも、そのような視差が見られる月や惑星よりもこの天体が遠くにあることを暗示していた。また、全ての惑星は、たとえ日周視差が検出されないような外側の遠い惑星でも周期的な軌道運動を行っていたのに対し、彼はこの新しい天体の相対位置が数ヶ月以上にわたり背景の恒星に対して変化しなかったことも発見した。これはこの天体が惑星でもなく、あらゆる惑星よりも遠い天球にある恒星であることを示していた。1573年、彼は『De nova stella』という小さな本を出版した。この本で「新しい」星のために新星(nova)という用語を作った(現在ではこの星は超新星、supernovaに分類され、地球から7,500光年の位置にあることが分かっている)。この発見は職業として彼が天文学を選択する上で決定的なものであった。ティコはこの現象の天文学的意味合いを退けてしまう人々に極めて批判的であり、『De stella nova』の序文に「O crassa ingenia. O caecos coeli spectatores(おお、満ち満ちた知恵よ、おお、盲目の空の監視者たちよ[訳語疑問点])」と書いている。この発見の出版によって彼の名は全ヨーロッパの科学者たちの間で良く知られるようになった。
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