1568年ブノワ・リゴー版を継いだ版
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「ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1568年)」の記事における「1568年ブノワ・リゴー版を継いだ版」の解説
ブノワ・リゴーは、1594年と1596年にも再版している。現存している版は、1594年と明記された第一部と1596年と明記された第二部が貼り合わされた変則的なものである。 ブノワは1597年3月に歿したが、それから1601年頃までは息子たちが「ブノワ・リゴーの後継者たち」という名義で出版事業を継続していた。この時にも、『予言集』は少なくとも1回出されている。このタイトルページのデザインは、1568年版と同じである(第二部の木版画はB版などと同じもの)。 1601年頃から、ブノワの息子たちは個人名で活動するようになった。その一人である長男のピエール・リゴーも、1568年版と同じデザインの予言集を出版した(第二部の木版画はA版などと同じもの)。彼が17世紀初頭に手がけた版は、タイトルページの版元の表示で使われている前置詞の違いから、少なくとも3種類あることが知られている。この原文は、1568年版を忠実に写したというよりは、少なからず修正が加えられたものになっている。 ほぼ同じころに、リヨンの業者ジャン・ポワイエが出した版は、表紙の木版画こそ違うものの、内容はピエール・リゴー版とほぼ全く同じであった。以降、17世紀末までリヨンでは数十回版を重ねることになるが、それらは基本的にこの流れを踏襲している。 前後するが、1590年にはカオールの出版業者ジャック・ルソーも、『予言集』を出版していた。全10巻の『予言集』がリヨン以外で出版されたのはそれが初めてであったが、その内容はブノワ・リゴー版を忠実に転記したものであったと指摘されている。 その後、1605年版(出版地・出版社の記載なし)のタイトルには、「1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴーの版に基づき校正・改訂された版」(Reueues & corigées sur la coppie Imprimee à Lyon par Benoist Rigaud.1568.)と書かれ、同じ副題は1628年頃にトロワのピエール・デュ・リュオーによって出版された版にも用いられた。 さらに、1643年にマルセイユでクロード・ガルサンによって出された版でも「1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴー版に基づく」(Prinses sur la coppie Imprimee à Lyon, par Benoist Rigaud.1568.)という副題が添えられていた。ただし、この版は、第二部に相当する内容を含む版の中では伝統的な二部構成を止めた初めての版であり、スタイルなどを忠実に引き継いだわけではない。 時代は下って、1772年にアヴィニョンのトゥサン・ドメルグによって出版された版には「1568年に実子セザール・ノストラダムスの監修で初めて出された版に基づく十巻構成の新版」(Nouvelle Edition imprimée d'après la copie de la premiere édition faite sous les yeux de César Nostradamus son fils en 1568. Divisée en Dix Centuries.)という副題が添えられていた(ちなみに1568年版にセザールが関与したとする資料は確認できない)。この副題は、その後フランス革命期にアヴィニョンで何度か出された版にも引き継がれた。
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