1420年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:07 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 14世紀 - 15世紀 - 16世紀 |
十年紀: | 1390年代 1400年代 1410年代 - 1420年代 - 1430年代 1440年代 1450年代 |
年: | 1420年 1421年 1422年 1423年 1424年 1425年 1426年 1427年 1428年 1429年 |
1420年代(せんよんひゃくにじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1420年から1429年までの10年間を指す十年紀。
できごと
1421年
1429年
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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1420年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 12:22 UTC 版)
詳細は「1420年代」を参照 1420年トロワ条約の締結。イギリス王ヘンリー5世のフランス王位継承権が認められ、フランス王太子シャルルの王位継承権が否定される。 明で宦官による特務警察の東廠が設置される。北京に天壇が設置される。 1421年明の永楽帝が北平を北京と改名し正式に遷都する。 1422年雲南地方で麓川の乱。 イングランド王ヘンリー5世と、フランス王シャルル6世が相次いで死去。イングランド王ヘンリー6世が、イングランド・フランス共通の君主に選出される。 アスカーニエン家が断絶し、ヴェッティン家のフリードリヒ1世がザクセン選帝侯を継承。 ロマの集団がイタリアのボローニャに出現する。 1423年足利義量が室町幕府第5代将軍となる。 世宗が朝鮮最初の銅銭「朝鮮通宝」の鋳造を開始。 1424年明の洪熙帝が第4代皇帝に即位。 朝鮮で世宗の仏教弾圧(斥仏揚儒の始まり)。 1425年明の宣徳帝が第5代皇帝に即位。 将軍足利義量が死去、先代将軍であり父の足利義持が職務を代行。 1426年明の宣徳帝の叔父漢王朱高煦が反乱を起こすが鎮圧される。 イングランドで棍棒議会。ボーフォート枢機卿がローマに亡命。 1428年足利義持死去、弟の青蓮院門跡義円が足利義宣と還俗し将軍候補に内定する(籤引き将軍)。 称光天皇が死去し、伏見宮家から第102代後花園天皇が即位。伊勢国司北畠満雅の乱。 正長の土一揆。 ベトナムのドンドー(現ハノイ)にて黎利が黎朝を建国。 1429年足利義宣が改名し、足利義教として、室町幕府第6代将軍となる。 中山王尚巴志が三山統一して琉球王国が成立する。 ティムール朝君主ウルグ・ベクがサマルカンドに天文台を建設。 ジャンヌ・ダルクがシノン城に出現、オルレアンを解放し、パテーの戦いに勝利。ランス大聖堂にてフランス王シャルル7世の戴冠。
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