1430年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:07 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 14世紀 - 15世紀 - 16世紀 |
十年紀: | 1400年代 1410年代 1420年代 - 1430年代 - 1440年代 1450年代 1460年代 |
年: | 1430年 1431年 1432年 1433年 1434年 1435年 1436年 1437年 1438年 1439年 |
1430年代(せんよんひゃくさんじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1430年から1439年までの10年間を指す十年紀。
できごと
1431年
- ポルトガル人により、アゾレス諸島が発見される。
1438年
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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1430年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 12:22 UTC 版)
詳細は「1430年代」を参照 1430年コンピエーニュ包囲戦で、ジャンヌ・ダルクが捕虜となる。 ブルゴーニュ公フィリップにより金羊毛騎士団が設立される。 1431年バーゼル公会議。 アゾレス諸島発見。 ルーアンにてジャンヌ・ダルクが処刑される。 アユタヤ朝によりクメール朝の都アンコールが陥落する。 但馬守護山名宗全が配下の太田垣光景に命じて竹田城を築かせる。 1432年ファン・エイク兄弟によるヘントの祭壇画が完成する。 鄭和の艦隊の分団がラスール朝支配のアデンからメッカに到達。 足利義教により宣徳条約が結ばれ、日明貿易が復活する。 関東管領上杉憲実が足利学校を再興する。 1434年コジモ・デ・メディチがフィレンツェにおける支配権を確立( - 1494年)。 ポルトガル艦隊がボジャドル岬(ボハドル岬)を通過。 世阿弥が佐渡島に流される。 1435年スウェーデンのアルボガでエンゲルブレクト・エンゲルブレクトソンが身分制議会を開催。デンマーク支配に反発し、スウェーデンは一時的にカルマル同盟を脱する。 アラスの和約でフランス王とブルゴーニュ公が和解。 ナポリ女王ジョヴァンナ2世死去により、アンジュー王家とアラゴン王家が王位を争う。 明の英宗正統帝が第6代皇帝に即位。 1436年フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が奉献される。 シャルル7世率いるフランス軍がパリをイングランド軍から奪回する。 1437年フェラーラ公会議。 神聖ローマ皇帝ジギスムントが死去し、ルクセンブルク家が断絶。ハプスブルク家出身の娘婿アルプレヒト2世がローマ王(ドイツ王)となる。 ポルトガル王ドゥアルテ1世のタンジェ遠征。フェズのワッタース家のアブー・ザカリヤーに撃退され、王弟フェルナンドが捕虜となる。 1438年パチャクテクがサパ・インカ(皇帝)として即位し、クスコ王国はインカ帝国に再編される。 1439年フィレンツェ公会議。 フランス議会がブールジュの国本勅諚(フランス語版)を採択。 グロトニキの戦い(英語版)で、ポーランド軍がフス派を壊滅させ、フス戦争終結。
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