太田垣光景とは? わかりやすく解説

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太田垣光景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 13:38 UTC 版)

 
太田垣 光景
時代 室町時代 - 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
官位 播磨国守護代
幕府 室町幕府御家人
主君 山名宗全
氏族 太田垣氏
父母 父: 太田垣光朝
景近、景安、景光、松若丸?
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太田垣 光景(おおたがき みつかげ)は、室町時代後期の武将但馬国竹田城城主[1]山名宗全の家臣として嘉吉の乱応仁の乱に参加した。

生涯

太田垣光朝の子として生まれる[2]山名宗全に仕え、家臣となる。1441年嘉吉元年)の嘉吉の乱の際は、赤松氏討伐の際に山名氏配下として従軍。その戦功により、播磨国守護代を任ぜられる[3]。宗全から、竹田城の築城を命じられ、築城後に居城を任ぜられ、1443年嘉吉3年)初代城主になったと言われる(太田垣誠朝と言う説もある)[3][4]1465年寛正6年)まで城主を務め、太田垣景近に竹田城を継がせた[1]1467年応仁元年)の応仁の乱では、山名氏の配下として従軍している。この頃に、子の松若丸を失う。この功績により、太田垣氏歴代当主は「山名四天王」に数えられる[5]

墓は常光寺。

関連作品

テレビドラマ

脚注

  1. ^ a b 竹田城の歴史”. 朝来市. 2023年3月3日閲覧。
  2. ^ 太田垣光景”. 大河ドラマ+時代劇 登場人物配役事典. 2023年3月3日閲覧。
  3. ^ a b 太田垣光景”. まっぷる トラベルガイド. 2023年3月3日閲覧。
  4. ^ 竹田城関係年表”. 朝来市観光協会. 2023年3月3日閲覧。
  5. ^ 太田垣氏”. 播磨屋.com. 2023年3月3日閲覧。



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