その他の武将・守護大名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 23:13 UTC 版)
大内政弘(同「左京大夫」):藤岡弘西軍側。宗全に味方するため大船団を編成し西上。その大いなる戦力で優勢だった東軍を次々に打ち破っていく。土産に鯨の肉を持参した。のち義尚の最期を見届けることになり、亡骸にすがる富子の姿に涙を流した。 太田垣光景:石田太郎西軍側の武将。子の松若丸(演:玉置篤規)を応仁の乱で失う。 飯尾左衛門太夫(同「左衛門太夫」「執事代」):大橋吾郎政所執事代。寛正の大飢饉の際、米場の米の価格を下げさせようと悩む富子に力を貸した。富子を、かつて洛中で施行をしていた女性ではないかと訊ねる願阿弥に、それは観音菩薩の化身であろうと語る。貞親追放後は富子の片腕となり活躍する。義視による春王暗殺計画発覚の際には、毒入りの花見餅を謀反の証拠として義政に提出しようとするも、義視の配下に襲われてしまう。餅の大半を奪還されるが僅か一つだけ握りしめ、それを富子に渡し、自分の代わりとして貞親を呼び戻すよう言い残して事切れた。 伊勢貞親(同「伊勢守」):北村総一朗政所執事。管領の勝元や侍所の持清らと共に、義政に代わって政治を行う。米場より多大な賄賂を受け取っていたため、大飢饉の際には米場に価格を下げるよう交渉してくれとの富子の頼みをはねつけた。斯波家の家督争いに季瓊真蘂と共に介入し、義敏を当主に据え義廉を追放したが、義廉の縁者である宗全がこの一件を逆手に取り謀反騒ぎを起こす。その罪を不問に付すため、宗全謀反の噂を流した罪を勝元に着せられ、洛外に逃亡した。のちに富子によって都に呼び戻され政所に復帰。貞宗と共に富子のため力を尽くす。 伊勢貞宗:長森雅人貞親の子。父親である貞親の復帰を告げられた時は富子に感謝し、その後は亡き飯尾の代わりに富子の許で暗躍する。義尚の警護係を務めた。 畠山徳本入道(同「左衛門督」):中井啓輔義就の父。畠山家の家督を奪った政長を許せず、息子である義就を正式な跡継ぎにするよう、義政や今参局に泣きついた。この騒ぎが収束すると、ほどなくして病没。 畠山義就(同「右衛門佐」):永澤俊矢徳本入道の子。従兄弟の政長に家督を奪われ、足利家に加勢を求める。その後隠棲するも義政に取り立てられ山城国の守護に就いたことで、幕府内で重要な位置をしめるようになっていく。その事を重く見た勝元の策略で守護の座を追われ河内国に逃亡し、幕府からの討伐軍と岳山城において二年半の間交戦する。岳山城陥落の際には、影武者を使い自らは幕府軍本陣を攻め失敗するが、その時幕府側の総大将だった宗全の機転により命を救われた。その後も畠山家家督を巡って政長と河内国で戦い続け窮地に陥っていたが、宗全が援軍と共に現れこれを打破したことから、宗全に対して恩義を感じている。宗全の助勢のもと政長を撃退し自ら悲願の畠山家の家督を継ぐことになるが、この一件が導火線となり応仁の乱が勃発。西軍側の武将となり激しい戦いの中に身を投じる。山城国一揆が鎮圧された後、脱出してきた山城の国人・伊吹三郎に暗殺された。 畠山政長(同「尾張守」):赤羽秀之徳本入道の甥。従兄弟の義就との家督争いの際、細川家の支持を受けたことから勝元と行動を共にする。一度罪に問われた義就を赦免するなどの義政の行動には不信感を抱いている。その上、富子や宗全の策略で義就が正式な畠山家当主になり管領の座も追われたことから、義就及び義政をも討つため挙兵するが、勝元が援軍を出さなかったため敗北。勝元の手で山伏姿に身をやつして都落ちするが、その際も勝元には未だ不服を抱いている様子だった。のち勝元の挙兵に呼応し、東軍に参加。勝元を補佐し戦場で活躍する。 赤松政則:渡浩行 赤松満祐:喜多九州男 赤松則尚:小林大介 蜷川親元:伊東達広 京極持清:三浦賢二侍所を司り、勝元や貞親らと共に義政に代わって政務を行う。 京極政経:山下晃彦 上月左近将監:生瀬勝久 神保長誠:五代高之 朝倉孝景:林邦史朗 成身院光宣:赤星昇一郎 斯波義廉(同「治部大輔」):博田章敬宗全の縁者。斯波家家督を巡って義敏と争い一度は敗れるが、宗全の起こした謀反騒ぎの影響で義敏は追放され、当主の座に就く。その後御所より追放された政長の後を受け管領となる。 斯波義敏:長谷川恒之 一色義直(同「修理大夫」):内藤達也西軍側。 一色義秀:松戸俊二 武田信賢:土佐竜馬 結城政胤:高橋守 結城尚豊:益子智行 六角高頼:山本龍二 北畠教具:岡崎公彦 浦上則宗:大塩武 有馬持家:吾羽七朗
※この「その他の武将・守護大名」の解説は、「花の乱」の解説の一部です。
「その他の武将・守護大名」を含む「花の乱」の記事については、「花の乱」の概要を参照ください。
- その他の武将・守護大名のページへのリンク