洛外とは? わかりやすく解説

らく‐がい〔‐グワイ〕【×洛外】

読み方:らくがい

都のそと。京都郊外。⇔洛中洛内


洛外

読み方:ラクガイ(rakugai)

都の外。とくに京都郊外


洛中

(洛外 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/01 09:15 UTC 版)

洛中(らくちゅう)とは、京都の市中を指す呼び名。日本の平安時代に文学上の雅称として平安京中国の都に擬えて「洛陽」と呼んだことから派生した言葉で、概ね中世以降に用いられる。その示す地理的範囲は時代ごとに違いがある。また、公・官・民、それぞれの立場からも認識の違いがみられる。洛中に対して、洛中に続く外縁地域を洛外と呼んだ。


  1. ^ すでに中国の詩文では「洛中」「洛下」や「洛城」など、洛の一字を以って洛陽を示す例があった。
  2. ^ 治安3年(1021年)12月23日条に、京内に凶党が跋扈することを述べて「洛中坂東に異ならず」と記される。(五島 (1994)
  3. ^ 『国史大辞典』第14巻 (1993), p. 496.
  4. ^ 佐々木, 日嘉里「平安京における都市空間認識 : 古記録における「京」と「洛」(2002年度大会 (北陸) 学術講演梗概集)」『学術講演梗概集. 計画系』第2号、日本建築学会、2002年、421-422頁、ISSN 13414542CRID 1571980076902445312  (要購読契約)
  5. ^ a b ここでいう「左京」とは、現在の「左京区」の区域ではなく、平安京の中心である朱雀大路(現在の千本通)の東側、東京極大路(現在の寺町通)までの範囲を指す。同じく「右京」も朱雀大路の西側から西京極大路までの区域を指した。平安初期には、左京・右京をそれぞれ「東京」・「西京」と呼んだ。
  6. ^ 鎌倉初期に成立したと見られる平家物語では圧倒的に「京中」が使われ「洛中」の語はほとんど見られない。対して「入京」「帰京」は全く見られず「入洛」「帰洛」がごく普通に使われている。
  7. ^ a b 高橋慎一朗 (1996), p. 108.
  8. ^ 黒田 (1987).
  9. ^ 「洛外」の語も早い例では平安時代にみられ、『本朝続文粋』八に収められる藤原実範の詩に、名月を見るのに「洛外の地を択ぶ」とある。(五島 (1994)
  10. ^ 黒田 (1987)によれば、「洛中」と「辺土」を一括として「洛中辺土」とする表現は室町幕府により14世紀になって設定されたとする。
  11. ^ 応仁の乱後に諸課役による用語は、「洛中洛外」に統一される。(瀬田勝哉『洛中洛外の群像ー失われた中世京都へー』「荘園解体期の京の流通」平凡社(1994年、初出は1993年)170ページ)
  12. ^ 桃崎有一郎『平安京はいらなかった』吉川弘文館、2016年、134頁。ISBN 978-4642058384 
  13. ^ 東京極大路(現在の寺町通)の鴨川側に拓かれた南北の大路
  14. ^ a b c d e 高橋康夫 (1998).
  15. ^ 『京都の歴史』第3巻 pp.27-29
  16. ^ 河内将芳『戦国京都の大路小路』戎光祥出版、2017年。ISBN 978-4-86403-258-2 
  17. ^ 「秀吉公京都開基御尋之事」の記事。秀吉の「洛中とは」という下問に対し細川幽斎が「東は京極迄、西は朱雀迄、北は鴨口、南は九条までを九重の都と号せり。されば内裏は代々少しづつ替ると申せども、さだめおかるる洛中洛外の境は聊かも違うことなし。油小路より東を左近、西を右近と申、右京は長安、左京は洛陽と号之。(中略)この京いつとなく衰え申、(中略)ややもすれば修羅の巷となるにつけて、一切の売人都鄙の到来無きによりて自ずから零落すと聞え申候」と答えたとある。この幽斎の返答を聞いた秀吉は「さあらば先ず洛中洛外を定むべし」と諸大名に命じ惣土堤(御土居)を築かせたという。幽斎が「九重の都」の範囲を「東は京極迄、西は朱雀迄」と誤まりつつも、左京と右京と含めて「さだめおかるる洛中洛外の境は聊かも違うことなし。」と述べていることは、当時の一部知識人の間では「平安京の京域内が洛中」という認識がなお存在していたことを示している。
  18. ^ 『室町殿日記』は史実と虚構の入り混じった、いわゆる軍記であるが、近世においては実記と捉えられることが多く、当時の京都の地誌における御土居の紹介(『拾遺都名所図会』や『山城名勝志』の「洛外惣土堤」の項)にも用いられている。
  19. ^ 京都市情報館(京都市公式webサイト)に掲載される御土居の解説(史跡 御土居)でも「土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼び,」と紹介する。
  20. ^ 『洛中絵図』は、江戸幕府大工頭中井家(中井役所)で作成した京都の実測地図。中井家では寛永14年(1637年)に最初の京都の実測地図(宮内庁書陵部蔵「洛中絵図」)を作成しており、その少し後の実測図が京都大学附属図書館に所蔵されている(伊東宗裕『京都古地図めぐり』京都創文社、2011年。ISBN 978-4-906679-09-6 )。京都大学附属図書館蔵の「洛中絵図」は、上杉和央、岩崎奈緒子『京都古地図案内』(京都大学総合博物館)によれば、中井家が幕府に提出した清書絵図の写しとされ、寛永19年(1642年)の姿とされる。京都大学附属図書館蔵の「洛中絵図」は京都大学貴重資料アーカイブ寛永後萬治前洛中絵図で閲覧可能。なお、この「寛永後萬治前洛中絵図」では、高瀬川沿いの御土居外側の街区についても記載している。
  21. ^ 徳川政権はこれに先立つ元和3年(1617年)に下京の地子免除地を広げている。(丸山俊明『京のまちなみ史―平安京への道 京都のあゆみ』昭和堂、2018年。ISBN 9784812217153 pp.141)
  22. ^ 朝尾 (1996).
  23. ^ 寛文8年は1668年であるが、設置日を新暦換算すると、翌1669年に入る
  24. ^ 「洛中洛外町続」の呼称について、朝尾 (1996)では、元禄期の成立とする。
  25. ^ 丸山 (2018), p. 142
  26. ^ 丸山俊明; 日向進「山城国南部における建築規制の転換について : 江戸時代の山城国農村部における建築規制(その1)」『日本建築学会計画系論文集』第65巻、第535号、日本建築学会、223-230頁、2000年。doi:10.3130/aija.65.223_2https://doi.org/10.3130/aija.65.223_2 
  27. ^ 町代であった古久保家文書 『起源』寛文12(1672)年6月27日の条に,「加茂川筋を境、東之方ハ雑色、西之方ハ町代可為支配旨被仰出」とみえる。日向進「近世京都における新地開発と「地面支配人」 : 鴨東,河原の開発をめぐって」『日本建築学会計画系論文報告集』第407巻、日本建築学会、129-137頁、1990年。doi:10.3130/aijax.407.0_129https://doi.org/10.3130/aijax.407.0_129 
  28. ^ 「ここからは『洛中』であることから、荷馬の口取りが馬に乗ったまま入ることを禁じる」という内容である。伊東 (1997)によれば、この碑の目的については、社寺の門前に設けられる「下馬」碑のように儀礼上下馬を命じるものではなく、交通安全を目的としたものであると考察される。
  29. ^ 中村 (2008)では、寛政6年(1794年)製とされる『御土居麁絵図』をもとにして「是より洛中」碑の場所を図示しており、東部の鴨川東側は木製であることを示しており、その位置は同氏のtwitterの投稿でも紹介されている。
  30. ^ 伊東 (1997)では、明治2年(1869年)刊の『上下京両組一覧之図』には、この碑の場所が26ヶ所図示されており、明治初年には残っていたことを紹介する。
  31. ^ 『京のいしぶみデータベース』(KA105-1 是より洛中碑など)
  32. ^ 丸山 (2018), p. 142,143
  33. ^ 丸山 (2018), p. 188-190.
  34. ^ 例えば、京都新聞社『京都市電物語』(1978年)pp,56には、「京都人の洛中洛外意識と関連深い外郭線」という記述が見られる。
  35. ^ 洛外を方位により「洛東」「洛西」「洛北」「洛南」と分ける記載は、すでに江戸期にみられるが、範囲は定まっていない。森谷 (2003)
  36. ^ 例えば、旅行会社のサイトの「京都駅・河原町エリア(洛中)」のページでは、「洛中」は「京都御所を中心に、北は北大路、南は九条まで広がるエリア」などと紹介されている。
  37. ^ a b 森谷尅久『地名で読む京の町〈上〉洛中・洛西・洛外編』PHP研究所、2003年、1-7頁。ISBN 978-4-569-62679-6 同書では、現在言われている概念を踏まえた、これまでに使用されてきた地域分けを踏襲するものとしている。
  38. ^ 黒川道祐『雍州府志』など
  39. ^ 村井 (1979) pp.40。
  40. ^ 五島 (1994)では、まず冒頭に「『洛』は『洛陽』即ち京都の意味で、『洛中』は漠然とした京内をいう言葉」と定義づけ、「平安京そのものを長安とも洛陽とも呼んでいる」とする。加藤 (2016)では詳細にこの問題を追及している。
  41. ^ 享徳3年(1454)の奥書を持つ『撮攘集』にも都の異名を並べて「京城 都 皇州 京帥 洛陽 長安 禁城 帝畿」と洛陽・長安ともに都の意と記す。
  42. ^ 洞院公賢はその出典を明らかにしていないが、「洛陽城」「長安城」としているところをみると、本朝文粋などに現れた「洛城」「長安城」にヒントを得た可能性も考えられる。また中国では、洛陽を東京、長安を西京と呼んだから(「洛陽称東京、長安称西京」)、これをそのまま平安京の「東京(左京)」「西京(右京)」に当てはめた可能性もある。
  43. ^ しばしば慶滋保胤が『池亭記』において左京を指して「洛陽城」と書いたとされるが、対して長安の名は文中に見えず、洛陽城をもって京域全体を指していたとも解せられる。
  44. ^ 都を指して「洛陽」という言い方は早くから定着していたが、のちに右京が廃れたことにより都の範囲が狭まり、実質的に「京都(洛陽)=左京」という状態になっていたから、対して詩文に現れた「長安」を右京に付会して、「拾芥抄」の「左京洛陽・右京長安」説が成立したとも考えられる。
  45. ^ 加藤 (2016)は左京を洛陽、右京を長安と名付けたという記述は日本紀略・続日本後記になく、正史などで京都を「洛陽」「長安」と呼ぶ例は皆無であるとする。
  46. ^ これら坊名は嵯峨天皇により宮城の門の名が和風から唐風に変えられた弘仁9年(818年)に、同時に命名されたと考えられているが(村井康彦ら説)、そのことは史書などに現れない。
  47. ^ 例えば、左京の「崇仁坊」「永昌坊」などは長安城から、右京の「豊財坊」「毓財坊」は洛陽城から採用している。
  48. ^ 洛陽・長安の区別は少し後、すでに「洛中」や「入洛」などの語が成立していた鎌倉時代以降のことと考えられる。
  49. ^ 長安という呼び名が廃れたのは、「長」も「安」も日本では多用される文字であったため「洛」のように一字で洛陽すなわち京都を意味することができなかったためと考えられる(たとえば「上洛」はすぐ理解できるが、「上」「上」では言語としての明晰性に欠ける)。中国でも事情は同様であったと見え、洛の一字を以って洛陽を示すことはあったが、長あるいは安の一字を以って長安を示す例は見当たらない。「長城」という語は見られるがこれは「長安城」の略ではなく「万里の長城」のことであった。


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