京の七口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 01:02 UTC 版)
京の七口(きょうのななくち)とは、京都につながる街道の代表的な出入口の総称として用いられる。七口として示される出入口の場所および名称は史料によっても異なり、定まっていない。
出典
- ^ 河内 (2000), p. 91では、京都における「口」のつく地名について院政期までさかのぼることができ、口関としての初出として延慶年間(1308-1311年)の内蔵寮領「東三ヶ口炭薪雑物等」と紹介している。
- ^ 河内 (2000), p. 95では、「七道口」の七の数字の意味について、七道の諸国から京都に運搬する物資を徴発する事実から、自然呼び名されるに至ったとの相田二郎『中世の関所』(1943)による指摘を、卓見と評価している。
- ^ 『京都御役所向大概覚書』では、京の七口についての項目の表題を、「京七口 五畿ハ郡 七道ハ夷中」としている。底本は岩生成一監修、岡田信子・新城敏男・仙石鶴義・長尾正憲・村岡美恵子・渡辺和敏校訂 編『京都御役所向大概覚書』 2巻、清文堂出版、1988年、209頁。
- ^ a b “出雲路鞍馬口”. 京都市情報館(公式ウェブサイト). 京都市. 2019年7月30日閲覧。
- ^ 京都市内では、交差する通り名を合成することにより交差点名を示すことがある。この場合の「烏丸鞍馬口」とは、烏丸通と鞍馬口通の交差点の名称である。
- ^ a b 京都市. “京都市歴史的風致維持向上計画(1期)第2章 ア 鞍馬街道 - 京郊の歴史的風致” (PDF). 京都市情報館(公式ウェブサイト). 京都市. p. (2-79). 2022年6月19日閲覧。
注釈
- ^ 鞍馬口町(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色で囲い表示される。
- ^ 出雲路鞍馬口(地図 - Google マップ) ※該当地域が属する「出雲路立テ本町」が赤色で囲い表示される。
- ^ 鞍馬口駅(地図 - Google マップ) ※該当地域は水色の文字でスポット表示される。
京の七口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/24 08:06 UTC 版)
京都七口は元来、京都と七道を結ぶ街道の入口として設置されたと考えられ、大原口(小原口・八瀬口→北陸道)・鞍馬口(出雲路口)・粟田口(東三条口→東海道)・伏見口(宇治口・木幡口→南海道)・鳥羽口(→西海道)・丹波口(西七条口・七条口→山陰道)・長坂口(→(丹波道))の7つと言われているが、これは関所が廃止された江戸時代以後の説で史実に即しているのか疑問を持たれている。また、上記の関以外にも北白川口(今路道下→東山道)、東寺口(→山陽道)、法性寺口(→南海道)、西三条道(→(嵯峨道))を七口の1つとして挙げている文書・史料も存在する。そこで中世の七口の関について比定する研究も行われたが、実態として7つ以上の関所が存在したのは確実で、かつ現存記録でさえ七口に該当する場所がまちまちである以上、7つを特定することには意義はないとする見解もある。
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