山陰道とは? わかりやすく解説

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さんいん‐どう〔‐ダウ〕【山陰道】

読み方:さんいんどう

五畿七道の一。現在の近畿・中国地方日本海側丹後丹波但馬(たじま)・因幡(いなば)・伯耆(ほうき)・出雲(いずも)・石見(いわみ)・隠岐(おき)の8か国。また、この国々を結ぶ街道のこと。

山陰道の画像
山陰道の8か国

そとも‐の‐みち【山陰道】

読み方:そとものみち

山陰道(さんいんどう)の古称


山陰道
蒲生峠越
徳城峠越
野坂峠越

名称: 山陰道
 蒲生峠越
 徳城峠越
 野坂峠越
ふりがな さんいんどう
 がもうとうげごえ
 とくじょうとうげごえ
 のさかとうげごえ
種別 史跡
種別2:
都道府県 2県以上
市区町村 岩美郡岩美町鹿足郡津和野町
管理団体
指定年月日 2005.03.02(平成17.03.02)
指定基準 史6
特別指定年月日
追加指定年月日 平成21.02.12
解説文: 近世の山陰道は、京都から山陰地方通じ主要街道で、鳥取県側では但馬往来但馬街道とも呼ばれた鳥取藩参勤交代道は志戸坂峠八頭郡智頭町)を越えて姫路に出る智頭往来であったが、鳥取藩は山陰道を京都への重要な交通路として整備し鳥取起点一里塚築き宿駅置いた享保11年(1726)の『因幡国大道筋里数によれば鳥取から蒲生峠までの里程は6里12であった。山陰道は岩美町浦富海沿いに進むルート蒲生峠へ向かうルート分岐するが、蒲生峠越本道とされていた。 天正8年(1580)の因幡攻めの際に羽柴秀吉が、慶応4年1868)の明治維新の際には山陰道鎮撫使が、蒲生峠越えて鳥取向かった伝えられている。
 山陰道蒲生峠越は、岩美町塩谷国道9号線から分かれて山道入り蒲生峠県道千谷蕪島線に合流する合流点付近には、明治25年(1892)9月往来人の安全を祈願して建立された「延命地蔵大菩薩」の台座残されている。この間の約2km程の峠道明治時代中期までの街道である。このルートは、明治時代になって一般国道選定され整備進められ人力車荷馬車往来で賑わった。明治25年に山陰道が現在の県道ルート変更される次第寂れていったが、現在も地域住民林業や生活用道路として利用維持されているために、遺存状態は比較良好である。
 平成2年度に鳥取県教育委員会によって文化庁補助事業歴史の道調査が行われ、平成10から12年度にかけて岩美町教育委員会により「歴史の道整備事業」が実施された。蒲生峠越では、土砂崩壊箇所修復石畳露出雨水処理の側溝排水溝設置案内板説明板標識設置東屋ベンチ設置等の整備が行われた。
 山陰道蒲生峠越は、山陰地方但馬丹波京都を結ぶ主要街道であった山陰道のうちで整備完了した区間であり、境界の確定できた約2km古道と峠の守り仏の延命地蔵敷地史跡指定し保護図ろうとするものである

山陰道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 07:20 UTC 版)

山陰道(さんいんどう、せんいんどう、そとものみち)は、五畿七道の一つ。本州日本海側の西部の行政区分、および同所を通る幹線道路古代から中世)を指す。




「山陰道」の続きの解説一覧

山陰道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 03:42 UTC 版)

令制国一覧」の記事における「山陰道」の解説

丹波国 たんば(丹州丹後国 たんご(丹州) - 713年丹波国より分立但馬国 たじま/たぢま(但州因幡国 いなば(因州伯耆国 ほうき/はうき(伯州出雲国 いずも/いづも(雲州石見国 いわみ/いはみ(石州隠岐国 おき(隠州

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山陰道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 09:16 UTC 版)

近代以前の日本の都市人口統計」の記事における「山陰道」の解説

丹波 亀山 (亀岡) 天保14年1843年完成の『桑下漫録』によると亀山周辺の町村方戸数は1245軒推定6225人、内城下町分は推定4500人。城下士族推定3000人(典拠は『亀岡市史』)。明治6年1873年)の人口は7029人。 篠山 宝暦10年1760年)の町方人口は2672人(典拠は『丹波多紀郡明細記』)。明治6年1873年)の人口は5931人。 福知山 慶安2年1649年)の町方人口は3157人(典拠は『福知山市史』)。明治6年1873年)の人口は4893人。 丹後 田辺 (丹後田辺, 舞鶴) 天保9年1838年)の町方人口6510人(典拠近松二(1999年))、明治6年1873年)の人口は9073人。 宮津 明治2年1869年)の宮津寺社人口92人、家中は3,346人、穢多・非人109人で、総人口は9715人。 元号西暦町方人口享保3年 1718年 7,231 延享元年 1744年 7,193 明治2年 1869年 6,168 明治6年 (総数) 1873年 9,398 (典拠は『丹後宮津志』) 但馬 豊岡 天明8年1789年)の豊岡町町方人口は3497人(典拠は『豊岡市史』)、明治6年1873年)の人口は4926人。 出石 元号西暦町方人口明和8年 1771年 5,713 天保11年 1840年 4,383 明治6年 (総数) 1873年 6,796 (典拠は『出石町史』、近松二(1999年)) 因幡 鳥取 武家人口含めた推定総人口は約35000人。 元号西暦町方人口寛延2年 1749年 13,125 文化7年 1810年 10,228 弘化3年 1846年 11,440 明治6年 (総数) 1873年 20,782 (典拠は『新修鳥取市史』) 伯耆 米子 元号西暦町方人口寛延2年 1749年 5,677 文化7年 1810年 7,540 弘化3年 1846年 7,675 明治2年 (総数) 1869年 11,574 明治6年 (総数) 1873年 10,237 (典拠は『新修鳥取市史』) 倉吉 元号西暦町方人口寛延2年 1749年 2,928 文化7年 1810年 3,699 弘化3年 1846年 4,424 明治6年 (総数) 1873年 4,809 (典拠は『新修鳥取市史』) 出雲 松江 明和4年1767年)の家中人口は、松江藩武家人口1万6484人より江戸定詰1325人を除いたもの。 元号西暦合計(総数) 家中町方宝暦11年 1761年 28,564 15,019 13,545 宝暦13年 1763年 29,263 15,268 13,995 明和4年 1767年 29,067 15,159 13,908 天明7年 1787年 31,161 15,635 15,526 天保9年 1838年 36,073 15,567 20,506 明治6年 1873年 37,808 (典拠は『松江市誌』、『節山史料』) 杵築(出雲杵築)・今市平田 (出雲) 寛延年中(1750年頃)の杵築社中(出雲大社境内)の家数175軒、杵築6ヶ村の家臼は1028軒、合計1203軒。同年今市家数合計769軒(典拠は『出雲市史』)。明治6年1873年)の杵築人口は7674人、今市人口は1703人、平田人口は3125人。 石見 大森・銀山 17世紀初めの『銀山日記』によると、慶長の頃より寛永年中にかけて(17世紀初期)大森人口20万人家数26000軒余とあるが、これらは石見国全域人口としても多過ぎ信用できない17世紀中頃には、鉱山内の銀山町」と、代官所置かれ陣屋町の「大森町」という2地区からなる鉱山町形成される寛政12年1800年)の大森町家数385軒(武家69軒、社家4軒、寺院13軒、町屋299軒)。 元号西暦合計大森町銀山町延宝6年 1678年 1,564 元禄5年 1692年 1,871 元禄15年 1702年 2,307 686 1,621 元文5年 1740年 1,467 延享4年 1747年 1,173 文化12年 1815年 1,657 天保9年 1838年 1,242 文久2年 1862年 1,061 明治6年 (総数) 1873年 2,124 1,475 659 (典拠山陰宗門改帳研究会宗門改帳からみる山陰近世社会 その2』) 浜田 浜田八町町方戸数享保20年1735年)に622戸、寛保2年1742年)に565戸、明和6年1769年)に569戸、天保7年1836年)に544戸、嘉永元年1848年)に597戸(典拠浜田市誌)。明治6年1873年)の人口は3943人。 津和野 文化2年1805年)の津和野藩家中人口5464人中江戸在中272人、廿日市在中92人、大坂在中22人。嘉永4年1869年)の津和野藩家中人口5296人中江戸在中179人、廿日市在中80人、大坂在中25人。 元号西暦総数家中町方文化2年 1805年 7,618 5,078 2,540 弘化2年 1845年 6,782 4,859 1,923 弘化3年 1846年 6,851 4,902 1,949 嘉永3年 1850年 7,069 5,021 2,048 嘉永4年 1851年 7,050 5,012 2,038 明治6年 1873年 7,088 (典拠亀井茲建1932年))

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山陰道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 03:45 UTC 版)

鳥取県道31号鳥取国府岩美線」の記事における「山陰道」の解説

古代五畿七道のひとつに定められた山陰道は、京都から但馬国兵庫県北部)を経て因幡国鳥取県東部)を通り伯耆国鳥取県西部)、出雲国島根県東部)など東西通じていた。しかしその古い経路はとくに山間部では不詳部分多く因幡国鳥取県東部)でも明らかになっていない平安時代延喜式では因幡国に「山埼」「佐尉」などの駅家記録されているが、これらがどこにあったのかはわかっていない。「山埼」「佐尉」に相当する地名遺称地)が複数あり、但馬国から蒲生峠越えて因幡国入ったあと、因幡国国庁があった旧国府町に至るルートにはおおまかに2通りの説がある。 このうち蒲生峠からすぐに南へ転じ十王峠を越えて袋川上流出て袋川沿って国府目指すルート概ね現在の県道31号に相当する

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山陰道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 23:36 UTC 版)

郡寺」の記事における「山陰道」の解説

丹波国 (飛鳥白鳳寺院数:約7カ所) 郡名比定郡衙比定寺院根拠備考何鹿郡 青野南 綾中廃寺 綾部市資料館・展示 氷上郡 市辺遺跡 三ツ塚廃寺 丹後国 (飛鳥白鳳寺院数:俵野廃寺のみ) 但馬国三宅廃寺豊岡市、袴挟遺跡出石郡家?但馬国府?)と七美郡殿岡廃寺香美町)である。 因幡国 白鳳時代から奈良時代11カ寺(智頭郡のみ見当たらず)、鳥取県最古大御堂廃寺野方弥陀ヶ平廃寺いずれかである。 郡名比定郡衙比定寺院根拠備考八上郡 万代寺遺跡 土師百井廃寺(国史跡) 気多郡 上原遺跡 寺内廃寺上原遺跡 高草郡 唯一菖蒲廃寺 巨濃郡(岩井郡) 唯一岩井廃寺 伯耆国 白鳳時代から奈良時代13カ寺(日野郡のみ見当たらず郡名比定郡衙比定寺院根拠備考八橋郡 大高野官衙遺跡(国史跡) 斎尾廃寺跡 会見郡 長者屋敷 坂中廃寺大寺廃寺 久米郡 久米寺 大御堂廃寺(国史跡) 墨書土器久米寺石見国 古代寺院下府廃寺国文化財)ふくめ3カ所 隠岐国 古代寺院は2カ所、高句麗系の瓦が出土している

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