大山道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/07 15:04 UTC 版)
大山道(おおやまみち・おおやまどう)とは、主に江戸時代の関東各地から、相模国大山の山頂にある石尊権現社(大山寺本宮、江戸時代後期には阿夫利神社とも別称、明治以降は阿夫利神社本社)[1]と中腹の大山寺不動堂(明治以降は阿夫利神社下社、いったん廃寺となった大山寺は後に来迎院跡地に再建)に登拝する参詣者が通った古道の総称。大山街道(おおやまかいどう)とも呼ばれる。代表的なものとして、「田村通り大山道」や「青山通り大山道」などがある。
- ^ a b 江戸時代中期以前は、望地(もうち)の渡し - 六倉(愛川町)を経ていた。
- ^ 田無 - 押立の渡し間は、千川上水を柳橋で渡り武蔵境駅方面へ向かったという説と、この説の道ができたのは明治以降であり、江戸時代には西武新宿線西武柳沢駅西側にある六角地蔵石幢から南へ向かう榎ノ木通り、深大寺街道、大師道(途中、境浄水場で中断)を通ったのではないかという説がある。また、途中の調布飛行場で道が消滅している部分があるといわれる。
- ^ 多摩川の渡しは、押立の他、是政、関戸、一ノ宮、万願寺、日野などが利用され、一定していない。
- ^ 川尻村久保沢から陸路での場合は、大島村(相模原市) - 田名 - 八王子通り大山道を経て大山へ
- ^ 裏参道として寺山村から蓑毛通り大山道を経て大山へ向かう経路がある。
固有名詞の分類
- 大山道のページへのリンク