平清盛とは? わかりやすく解説

たいら‐の‐きよもり〔たひら‐〕【平清盛】


平清盛

作者海音寺潮五郎

収載図書源平鎌倉もののふの
出版社講談社
刊行年月1992.3
シリーズ名歴史小説名作

収載図書短篇小説源義経時代
出版社作品社
刊行年月2004.10

収載図書武将列伝 源平
出版社文藝春秋
刊行年月2008.3
シリーズ名文春文庫


平清盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/07 13:02 UTC 版)

平 清盛(たいら の きよもり、旧字体平󠄁 淸盛󠄁)は、平安時代末期の日本武将公卿貴族棟梁


注釈

  1. ^ 九条道家の日記『玉蘂』建暦元年3月14日条に「正月十八日」と誕生日が書かれている。
  2. ^ 佐々木八郎は、初めの頃はその中﨟女房の腹であったとして語られたのが、語られてゆくうちに祇園女御の腹であるというように変化していったのであろうと推断している[2]
  3. ^ 高橋昌明は『仏舎利相承系図』の記述を後世の加筆として、清盛の母を祇園女御の妹とする説を否定している[4]
  4. ^ 「人耳目を驚かすか、言ふに足らず」『中右記』大治4年正月24日条。
  5. ^ 通常、武士の任官は三等官の尉から始まり、二等官の佐に任じられるのは極めて異例であった。
  6. ^ 『中右記』3月16日条。
  7. ^ 院近臣の昇進限界は大納言までとされていた[5]
  8. ^ これにより後世において「平大相国(へいだいしょうこく)」と尊称される。
  9. ^ 7月9日に食物を与えられず殺害される。
  10. ^ 河内祥輔は治承元年事件(鹿ケ谷の陰謀)は具体的な陰謀があったものではなく、平清盛からみて後白河法皇の延暦寺攻撃命令そのものが平家と延暦寺と争わせるだけでなく、平家を「仏敵」にして延暦寺攻撃の仏罰によって滅亡に追い込むための陰謀と解されたとする[9]
  11. ^ 平清盛炎焼病之図』 - 国立国会図書館デジタルコレクション。※良質な画像もあり。
  12. ^ 月岡芳年の三枚続絵『平清盛炎焼病之図』”. みんなの知識 ちょっと便利帳. 2020年5月18日閲覧。※良質な画像もあり。
  13. ^ 司命(しみょう)と司録(しろく)は、閻魔庁(えんまのちょう)の書記官。閻魔卒(えんまそつ)は、閻魔に仕えて罪人を責める獄卒。つまりは、閻魔付きの
  14. ^ 玉葉』による。
  15. ^ 古典史研究では、悶え死にとされる[14]
  16. ^ 高橋昌明は『仏舎利相承系図』の記述を後世の加筆として、清盛の母を祇園女御の妹とする説を否定している[4]

出典

  1. ^ 能福寺 平相國廟(地図 - Google マップ)※該当施設は赤色でスポット表示される。
  2. ^ 切戸町 清盛塚(地図 - Google マップ)※上に同じ。
  3. ^ 六波羅蜜寺 平清盛公之塚(地図 - Google マップ)※上に同じ。
  4. ^ 嵯峨鳥居本小坂町 祇王寺(地図 - Google マップ)※上に同じ。
  5. ^ 彦島 清盛塚(地図 - Google マップ)※上に同じ。
  6. ^ 西八条第跡(地図 - Google マップ)※上に同じ。
  7. ^ 若一神社(地図 - Google マップ)※該当施設は赤色でスポット表示される。拡大すると「平清盛公、御手植えの楠」もスポット表示される。
  8. ^ 六波羅蜜寺(地図 - Google マップ)※該当施設は赤色でスポット表示される。
  1. ^ 平清盛 京都ゆかりの地をたどる | 京都観光情報 KYOTOdesign”. kyoto-design.jp. 2024年2月9日閲覧。
  2. ^ 佐々木 1948 [要ページ番号]
  3. ^ 仏舎利相承図テクスト
  4. ^ a b 高橋 2011 [要ページ番号]
  5. ^ 美川 (2018), p. 150.
  6. ^ 元木 (2011), No.1037/3507.
  7. ^ 赤谷正樹 2016, p. 6.
  8. ^ a b 服部敏良 1981, p. 183.
  9. ^ 河内 (2007), pp. 124–144.
  10. ^ 月岡芳年/ 『平清盛炎焼病之図』 月岡芳年”. ネット美術館「アートまとめん」. 2020年5月18日閲覧。
  11. ^ 服部敏良 1981, p. 187.
  12. ^ a b c d e 早川智 (2017年10月20日). “平清盛の死因はマラリアだった? “謎の高熱”を現代の医師が診断〈dot.〉”. AERA dot. (アエラドット). 2022年8月23日閲覧。
  13. ^ a b 服部敏良 1981, p. 186.
  14. ^ a b c d 赤谷正樹 2016, p. 4.
  15. ^ 赤谷正樹 2016, p. 3.
  16. ^ 赤谷正樹 2016, p. 3-4.
  17. ^ 元木 2001, p. 263-264.
  18. ^ 上横手 (1989).
  19. ^ a b 高橋 (2005).
  20. ^ 宮地由香 1983, p. 17.
  21. ^ 宮地由香 1983, p. 17-18.
  22. ^ 宮地由香 1983, p. 19-21.
  23. ^ 宮地由香 1983, p. 21.
  24. ^ 宮地由香 1983, p. 22-23.
  25. ^ 服部敏良 1981, p. 192.
  26. ^ 曽我良成「安元白山事件をめぐる「史実」と「物語」の間 <論説>」『史人』第6巻、広島大学大学院教育学研究科下向井研究室、2015年12月、72-83頁、doi:10.15027/42863 
  27. ^ 服部敏良 1981, p. 188-189.
  28. ^ 宮地由香 1983, p. 16.
  29. ^ 元木 2001, p. 56-57.
  30. ^ a b c 文化財”. 公式ウェブサイト. 能福寺. 2020年5月18日閲覧。
  31. ^ a b 神戸市 文化スポーツ局中央図書館 総務課 (2019年11月1日更新). “清盛塚石造十三重塔”. 公式ウェブサイト. KOBE. 神戸市. 2020年5月18日閲覧。
  32. ^ a b c 神戸市 文化スポーツ局中央図書館 総務課 (2020年4月25日更新). “平清盛と神戸 平清盛のお墓”. 公式ウェブサイト. KOBE. 神戸市. 2020年5月18日閲覧。
  33. ^ a b 彦島・清盛塚”. ニッポン旅マガジン. 一般社団法人プレスマンユニオン. 2020年5月18日閲覧。
  34. ^ 清盛塚<山口県下関市>”. 非公式ウェブサイト. 源平史蹟の手引き. 2020年5月18日閲覧。※案内看板の画像など、現地情報あり。
  35. ^ a b 六波羅蜜寺の仏像”. 公式ウェブサイト. 東京国立博物館 (2008年). 2020年5月18日閲覧。
  36. ^ 重要文化財一覧”. 公式ウェブサイト. 六波羅蜜寺. 2020年5月18日閲覧。■良質な画像あり。
  37. ^ 第3回 歴史を今に伝える、六波羅蜜寺の宝物たち - 京都宝物館探訪”. 京都で遊ぼう. 京都で遊ぼうART. 京都文化推進委員会、株式会社エクザム. 2020年5月18日閲覧。



平清盛(たいら の きよもり)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 06:21 UTC 版)

飛天のごとく」の記事における「平清盛(たいら の きよもり)」の解説

中務省文官気品のある精悍な美貌粗野さ兼ね備える興福寺荒法師襲われていた頼長を助ける。

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平清盛

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破戒王〜おれの牛若〜」の記事における「平清盛」の解説

日本最高権力者超人的な力を持っているが、高齢であるため後継者である重盛の事を特に気にかけている。

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平清盛

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義経 (小説)」の記事における「平清盛」の解説

平氏棟梁。政軍ともに卓越した才覚備えた英傑北面武士として頭角現し平氏勢力拡大し平治の乱による源氏討滅後は武門の身として初め公卿列しついには太政大臣にまで昇りつめた。安徳帝外祖父として宮中を己の手の内に収め、京の六波羅に居を構えて事実上宰相として権勢振るった。また経済感覚にも長け日宋貿易によって空前巨富集め平氏一門による黄金時代築いた。その一方で宮廷顕職一門独占したり、都を摂津国福原神戸)に強引に遷都するなど、暴慢施政対す反発各地煮えたぎり、 以仁王下した令旨によりついに爆発することとなる。

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平清盛(たいらのきよもり)

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神戸・清盛隊」の記事における「平清盛(たいらのきよもり)」の解説

平家神戸・清盛隊棟梁「赤」頼れる存在まとめ役だが、たまにお客さん斬首ようとするおちゃめ一面を持つ。口上福原こそが我が都。平家そして神戸清盛隊、棟梁、我こそが平 清盛!』掛け声棟梁とうりょう)」

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平清盛

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平野 (神戸市)」の記事における「平清盛」の解説

歴史富んだ地で、1180年、平清盛は日宋貿易窓口だった大輪田泊おおわだのとまり)を見下ろす平野の地に都造りを計した(福原遷都)。しかし、わずか半年源氏挙兵に対応を迫られ、再び京へ戻った1167年、平清盛が病のため太政大臣辞し出家して1169年には雪見御所構えた清盛はこの地を気に入り14年間を平野に暮らす。平野は南以外の3方向を山に囲まれ盆地であり、六甲山系を背にして大倉山会下山などの丘陵が「コの字」に並ぶ地形は、北風遮り温暖過ごしやすいことと、敵からの攻撃備えやすいとという理由であったといわれる。さらに、石井川天王谷川新湊川に注ぐ合流地点であったこともその理由一つとされている。清盛福原遷都後、再興させた北区山田町の明要寺を「西の比叡山」になぞらえ月参りをしたと伝えられる参拝には石井川東岸から北に延びる烏原古道利用した。 『高倉院御幸記』には「福原の中御覧ぜんとて、御輿にてここかしこ御幸あり、所の様造りたる所々高麗人配しけるも理とぞみゆる。荒田といふ頼盛の家にて笠懸(かさがけ) 流鏑など御覧ぜさす云々」とあり、高麗人設計施工したため京の都異なり異風情緒富んだ街並みだったと推察されている。居館1184年源義経軍の鵯越合戦焼失した

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平清盛

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遮那王義経」の記事における「平清盛」の解説

本来は貴族番犬しかない武家ありながら強大な権力手中に収めこの世絶頂極めている平氏棟梁。「平氏にあらずんば人にあらず」と呼ばれるほどの時代築き上げた

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平清盛

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平野 (兵庫区)」の記事における「平清盛」の解説

歴史富んだ地で、1180年、平清盛は日宋貿易窓口だった大輪田泊おおわだのとまり)を見下ろす平野の地に都造りを計した(福原遷都)。しかし、わずか半年源氏挙兵に対応を迫られ、再び京へ戻った1167年、平清盛が病のため太政大臣辞し出家して1169年には雪見御所構えた清盛はこの地を気に入り14年間を平野に暮らす。平野は南以外の3方向を山に囲まれ盆地であり、六甲山系を背にして大倉山会下山などの丘陵が「コの字」に並ぶ地形は、北風遮り温暖過ごしやすいことと、敵からの攻撃備えやすいとという理由であったといわれる。さらに、石井川天王谷川新湊川に注ぐ合流地点であったこともその理由一つとされている。清盛福原遷都後、再興させた北区山田町の明要寺を「西の比叡山」になぞらえ月参りをしたと伝えられる参拝には石井川東岸から北に延びる烏原古道利用した。 『高倉院御幸記』には「福原の中御覧ぜんとて、御輿にてここかしこ御幸あり、所の様造りたる所々高麗人配しけるも理とぞみゆる。荒田といふ頼盛の家にて笠懸(かさがけ) 流鏑など御覧ぜさす云々」とあり、高麗人設計施工したため京の都異なり異風情緒富んだ街並みだったと推察されている。居館1184年源義経軍の鵯越合戦焼失した

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平清盛

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義経英雄伝」の記事における「平清盛」の解説

平氏将軍で、太政大臣敵将として登場せず、情勢解説で姿のみ確認できる作中死亡しており、史実において清盛の死急激に衰退したとされる

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