平清盛の大修築と福原遷都
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「大輪田泊」の記事における「平清盛の大修築と福原遷都」の解説
「福原京」も参照 鳥羽院の信任の厚かった平忠盛は、後院領荘園(天皇の隠居所の所領)であった肥前国神埼荘の知行を通じて日宋貿易を開始し、舶来品を院に進呈して近臣としてみとめられるようになった。その際、対外交渉を統括する大宰府が、これを越権行為として批判したが、忠盛は院宣によりこれを抑えた。 忠盛の子、平清盛は安芸守、播磨守、大宰大弐を歴任し、平治元年(1159年)の平治の乱ののちに平氏政権を成立させた。清盛は勢力基盤であった伊勢で産出する銀などを輸出し、安芸の音戸瀬戸を開削するなど瀬戸内航路を確保し、さらに大宰府の対外交渉権の接収をおこなった。 応保2年(1162年)、清盛は福原のある摂津八部(やたべ)荘を手に入れた。このとき、あるいはそれに先だって大輪田泊もかれの管轄下に入ったものとみられる。大輪田泊の重要性を深くみとめた清盛は、上述したように、従来、南東風による風浪が港湾施設を破壊することが多かったため、湊の前面に人工島を築いて安全な碇泊地を設けようと、私費を投じて修築工事に着手した。最初の工事は応保2年2月、清盛権中納言のときに開始されたが、同年8月に大風があり、工事はそのため水泡に帰した。 翌長寛元年(1163年)3月に工事を再開したが、難工事であったため、その際さまざまな伝説が生じている。もう少しで工事完成というそのときに日が暮れそうになったため、清盛が沈む太陽を招き返した、あるいは、人柱を沈めてから工事をしようという意見をしりぞけて、諸人に一切経の経文を書かせた石を沈めて基礎とした、そのため、この人工島を「経が島」と称した、などというものである。 仁安3年(1168年)、清盛は出家して「浄海」と名乗ったのち摂津福原に別荘(福原山荘)をかまえ、常時ここに住んで周辺一帯を経営した。これは、大輪田泊を利用して外国貿易をおこなうのに便利な地を選んだものと思われる。嘉応2年(1170年)、大輪田泊にはじめて宋の船が停泊した。後白河法皇は清盛の招きで福原の清盛別荘をしばしば訪れ、宋人に引見している。 承安2年(1172年)、中国明州(寧波)の地方官より、後白河法皇と清盛に国書と贈り物がとどいた。翌承安3年(1173年)、清盛は答礼使を派遣し、また、後白河院からは大輪田泊までの商船通航許可を得て宋の商船に瀬戸内海を航行させ、また、後白河院が宋の使者に答物を贈ったことによって、宋とのあいだに正式に国交が開かれて日宋貿易が拡大した。清盛らが大量に輸入した宋銭は、一時は物価騰貴を起こし、貨幣経済の発展をうながすなど中世の日本経済に大きな影響をあたえた。承安4年(1174年)、推定面積37ヘクタールの人工島経が島が竣工し、翌1175年には修築工事を終えた。経が島の工事責任者は、平氏水軍の中核をなす阿波国の豪族田口成良であった。清盛はまた、治承3年(1179年)に『太平御覧』を購入して人に書写させ、写本は手元において、印刷本(摺本)は女婿にあたる高倉天皇に献上するなど、新知識の導入にも努めた。清盛はこの年の11月、軍事クーデターをおこし、後白河法皇を幽閉、反対派を一掃した 治承4年(1180年)2月に譲位して上皇となった高倉の最初の社参が、その年の3月から4月上旬にかけて、従来の慣例を破って安芸の厳島神社でおこなわれた。また、この年の春には大輪田泊のあらたな改修が計画された。それまでの改修が平家の私財によったのに対し、今回の計画は国家権力をあげてのものとなった。 この年の6月、平清盛の主導により、まだ3歳の新帝安徳天皇、父高倉上皇、祖父後白河法皇の福原行幸がおこなわれ、行宮もその地に置かれた。清盛は福原に隣接する大輪田の地に「和田京」の造営を計画し、国々の功力による大輪田泊の永久的修築をも企図した。整備なった大輪田泊をそのうちに取り込む「和田京」造営計画は地形的制約もあって計画のみに終わったが、清盛は、大輪田泊を見下ろす山麓に福原京を築いて遷都を強行した。高倉上皇や平家一門の反対もあったが、それを押し切っての遷都であり、約半年後の京都還都まで、清盛の福原別邸が天皇の内裏となり、「本皇居」と称された。これについては、清盛は延暦寺・園城寺・興福寺など寺社勢力の干渉を避けるためとも、また、宋との貿易拡大によって海洋国家、西国国家の樹立を目指していたとも指摘される。 大輪田泊の永久的修築の計画は源頼朝・源義仲の挙兵にはじまる内乱とそれにつづく平氏の失権により中絶してしまったが、福原京に建てられた建造物群もまた治承・寿永の乱のなかで源義仲によって全て焼き払われた。
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