宋銭とは? わかりやすく解説

そう‐せん【×宋銭】

読み方:そうせん

中国宋代鋳造され銅銭日本輸入され皇朝十二銭以後国内通貨として、元銭・明銭とともに鎌倉時代から戦国時代にかけて流通した元豊通宝熙寧(きねい)元宝などがある。


宋銭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/03 03:14 UTC 版)

宋銭(そうせん)は、中国代に鋳造された貨幣である銅銭。また、宋代には鉄銭も鋳造された[1][2] が、一般的には、圧倒的に多い銅銭のことを指して宋銭と呼んでいる。


  1. ^ a b 「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」
  2. ^ 辺境部である四川陝西において、西夏への銅の流出を防止するために、銅銭の所有や使用を一切禁じられ、代わりに鉄銭が強制的に流通させられたためである[要出典]
  3. ^ 「コトバンク デジタル大辞泉」
  4. ^ 「コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)」
  5. ^ 井上正夫「国際通貨としての宋銭」(伊原弘 編『宋銭の世界』勉誠出版、2009年所収)[要ページ番号]
  6. ^ 黒田明伸「東アジア貨幣史の中の中世後期日本」(鈴木公雄 編『貨幣の地域史』岩波書店、2007年所収)[要ページ番号]
  7. ^ 伊藤啓介「鎌倉時代初期における朝廷の貨幣政策」(所収:上横手雅敬 編『鎌倉時代の権力と制度』(思文閣出版、2008年) ISBN 978-4-7842-1432-7[要ページ番号]
  8. ^ 九条兼実『玉葉』治承3年7月27日条。なお、この際、九条兼実は明法博士中原基広より唐土の銭(宋銭)は私鋳銭ではないが、日本の法令に基づいて出されているわけではないのでそれを流通させることは、私鋳銭と同じである、として宋銭の使用が私鋳銭の使用と同じく八虐に相当するとの説明を受けている。
  9. ^ 源頼朝の弟であり、実態は頼朝の提案に等しい
  10. ^ 『法曹至要抄』91条「一銭貨出挙以米弁時一倍利事」所収、建久3年8月6日付宣旨。
  11. ^ 『鎌倉遺文』676号
  12. ^ もっとも、一連の宋銭禁止令に天皇あるいは治天の君として関わってきた後鳥羽天皇(上皇)自身が宋銭を賭けて連歌勝負をしていたことが明らかになっている(『看聞日記応永31年2月29日条所引『後鳥羽院宸記』建保3年5月15日・19日、11月11日各条。参照:井原今朝男『中世の国家と天皇・儀礼』校倉書房、2012年、p316-317・345.)。
  13. ^ 百錬抄』寛喜2年6月24日条
  14. ^ 小葉田淳「宋銭」(『国史大辞典 8』(吉川弘文館、1987年) ISBN 978-4-642-00508-1[要ページ番号]
  15. ^ 『鹿苑日記』明応8年8月6日条
  16. ^ 『室町幕府追加法』320号
  17. ^ 橋本雄「中世日本の銅銭 -永楽銭から『宋銭の世界』を考える-」(伊原弘 編『宋銭の世界』勉誠出版、2009年所収)[要ページ番号]


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