せんせい‐しょう〔‐シヤウ〕【陝西省】
読み方:せんせいしょう
⇒陝西
陝西省
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 01:54 UTC 版)
陝西省(せんせいしょう、中国語:陕西省、拼音:Shǎnxī Shěng(シャンシー ション)、英語:Shaanxi(山西省と区別するため))は、中華人民共和国の省の一つ。略称は秦、または三秦。古代中国の長安一帯を含む地域。
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- ^ a b “Shaanxi/Prefectures, Cities, Districts and Counties”. Citypopulation (2022年11月18日). 2023年8月23日閲覧。
陝西省
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 03:59 UTC 版)
1862年、太平天国と捻軍が陝西省に入ると、漢人は防衛のため団練を組織した。その結果漢人を恐れた回民も武装することとなった。こうして対立が深まった結果、回民が太平天国に呼応して蜂起した。初期の指導者には任武・赫明堂、馬生彦、馬振和、白彦虎らがいた。同時期に寧夏でも馬兆元と馬化龍の指導で回民が蜂起した。陝西省の回民軍は清朝が太平天国の対応に忙殺されている間に渭水流域の陝西中部に勢力を伸ばした。蜂起軍は西安を包囲したが、1863年秋に欽差大臣ドロンガ(多隆阿)に敗北した。 太平天国の崩壊後、左宗棠が率いる湘軍が陝西に入った。左宗棠は捻軍を先に討ってから回民軍を倒すという方針をとり、1866年に回民軍は甘粛省への撤退を余儀なくされた。左宗棠はまた綿や穀物などの農業を振興し、さらに他の地域からの財政援助を受けた。こうして補給を確保した左宗棠は、1869年に劉松山を派遣してもっとも重要なジャフリーヤのリーダー馬化龍への攻撃を開始し、甘粛省北部にある馬化龍の拠点の金積堡を包囲した。16ヶ月の包囲ののち、馬化龍は降伏して処刑された。何千ものイスラム教徒が中国を逃れた。
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陝西省
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「中華人民共和国のナンバープレート識別記号一覧」の記事における「陝西省」の解説
陝西省(陕 (Shǎn)=陝)は以下の通り。 陕A - 西安市 陕B - 銅川市 陕C - 宝鶏市 陕D - 咸陽市 陕E - 渭南市 陕F - 漢中市 陕G - 安康市 陕H - 商洛市 陕J - 延安市 陕K - 楡林市 陕V - 楊凌農業高新技術産業示範区 陕U - 西安市 追加分
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