台湾地区
台湾地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 03:23 UTC 版)
台湾では中秋節は重要な民俗行事であり、台湾の休日となる。月見しながら月餅やブンタン(文旦)を食べる習慣がある。地方文化としては、高雄市美濃区のにある客家(ハッカ)民族の集落では丸カモ(アヒル)を絞めて食べる習慣や、宜蘭では小麦粉を練って中に黒糖を塗って焼いた「菜餅」を食べる習慣がある。また、台湾南部ではおもちや火鍋を食べる風習もある。旧暦8月15日も「土地公」と「太陰星君」の誕生日で、当日に土地公と太陰星君は祀られる。土地公(福徳正神)は土地の守り神とされ、台湾の人々に広く親しまれている神様であると同時に、財神の役割も兼務し、土地公に五穀豊穣や商売繁盛や、家内安全までも願ってお祈りする。特に土地公にお餅をお供えする。もちもち、べたべたで、土地公が召し上がる時、長くて白い鬚に粘り着き、お金と幸運も序でに祈願者の身に粘着してきてもらう。台湾の農民は水田や畑のあぜ道で「土地公枴」という竹ざおを挿す。竹ざおをちょっと少し切り分け、クリップのようにウチカビと線香を挟んで、杖として、土地公に捧げる。 古くは太陽に対して、太陰と呼ばれる月を支配する神様は、太陰星君とうい女神である。一般的に不老不死の薬を盗んでぐっと飲み、月に昇る仙女、「嫦娥」とごちゃ混ぜになってしまったが、実際に関係がない。「月下老人」のような、太陰星君も縁結びの神様なのに、男女問わず良縁が求められることではない。昔ながら、男性は月に願って祀ることは許せていないから、月に向かって願い事を言うのは、女性専用儀式である。 1980年代中期から、中秋節の夜に屋外でバーベキューするという楽しみ方も増えている。その起源は諸説あるが、CMの影響や、お月見の最中に腹が減るからだと言われている。この習慣は、この年代の経済発展と生活の西洋化が、伝統的な風習まで影響を及ぼしたことを証明している。 嘉義で、中秋節の夕方の後、ブンタンを持ち、室内に居て、外に向かい、入り口の敷居で包丁でブンタンの頭の部分を切りながら、「ブンタンの頭を切り、盗賊の頭を切り」と唱え、泥棒が来ないように祈る。 博餅:台湾語はPo̍ah-piáⁿ「跋餅」である。跋はギャンブルという意味だ。鄭成功は満清王朝と厦門で戦っているところ、中秋節が来ると、部下や軍隊は家族と団欒できず、もっとホームシックになるので、博餅というゲームを発想して、皆楽しく遊んでいて、ホームシックを忘れたそうである。丼椀にサイコロを投げ、出た目の組み合わせによって、月餅は景品としてゲットする。主に離島の金門県で行い、台湾本土の一部地域もまだこの風習を守っている。 水汴頭澹仔火迎暗景:雲林県の崙背郷、二崙郷にいる詔安弁の客家語を話す客家民族は、中秋節の夜にたいまつ(トーチ)を持ち、町内を巡りの風習である。昔は防犯のため、パトロールしていたが、今はもうパレードになるイベントだった。 焼塔:日本のお火焚き祭りに似ている。離島の馬祖(連江県)で行う。軍事管理時期に、民間から夜の光を出すことは禁止され、一度絶えてしまったが、近年南竿郷の鉄板村で復活させた。レンガと瓦で組み合わせ、積み重ね、1~3メートル屋根が無い、井戸の形の塔が作り、上の口に可燃物を投げ入れ、燃えていた。古いことが去り、新しいことが迎えられるように願う。昔、捨てられた棺の板や便所の板など、竈(かまど)の燃料として燃えたら、不吉なので、中秋節の夜に集め、焼塔で燃やす。現代は、願い事や嫌なことを書いた短冊を塔に入れ、火を付け、燃やしていた。諸願成就や悪星退散や無病息災など願う。焚き上げられ、炎が立ち上る様子は圧巻である。炎が大きければ大きいほど、運勢が良いと言われる。
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