中国大陸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/15 08:34 UTC 版)
中国大陸(ちゅうごくたいりく、英: Mainland China)は、ユーラシア大陸(アジア大陸)の東に存在する現代国家としての中国の領域に含まれる陸地を指す、中国で使われ始めた用語。類義語として中国内地(ちゅうごくないち)や中国本土(ちゅうごくほんど)が用いられる(詳細は#類語にて記述)。
注釈
- ^ 中国語原文:「溯自民國三十八年政府遷臺後,大陸淪陷迄今,窒礙之狀態,仍繼續存在。」
- ^ 我國大陸領土雖因一時為共匪所竊據
- ^ 但其仍屬固有之疆域
- ^ 原文:本條例第二條第二款之施行區域,指中共控制之地區。
- ^ 「探親」は「多く長い間会っていない親族に会いに行く」という意味の中国語で、ここで言う「探親旅行」は国共内戦で離散した家族に会う目的で台湾から中国大陸へ行く旅行を指す。
- ^ なお、南海諸島は民間の定住者がいないため同通知で一切言及されていない。そのため、同通知が述べる「大陸」の範疇に南海諸島が入るか否かは不明確である。
- ^ 台湾・澎湖・金門・馬祖及びその他我が国(中華民国)の統治権が及んでいる場所・地区。
- ^ 第二次国共内戦の敗北に伴い、1949年12月7日に国民政府が大陸部から台湾へ移転した出来事を指す。
- ^ 民国紀元の表記であり、西暦では2005年となる。
- ^ キャフタ条約によって清朝・ロシア帝国間の国境が確定した年。
- ^ 中華民国は建国以来一貫して外蒙古の領有権を主張しており、国民政府は地方行政区分として蒙古地方を設置していた。だが、実際は帝政ロシア・ソビエト連邦の度重なる政治介入により、外蒙古はモンゴル人民共和国(モンゴル)として独立(1924年)するかトゥヴァ自治州(トゥヴァ)としてソ連に編入(1944年)されていた。その後、国民政府は中ソ友好同盟条約(1945年)の締結によってトゥヴァの領有権を放棄し、かつ同条約の交換公文に基づいて行われた住民投票の結果を受け、1946年1月5日にモンゴルの独立を承認した。しかし第二次国共内戦の敗北によって中華民国政府が台湾への移転を余儀なくされると、政府はソ連による条約の不履行を理由として1953年2月24日に条約を破棄し、モンゴルの独立承認ないしトゥヴァの領有権放棄を取り消した。
出典
- ^ Lewis, Martin W.; Kären E. Wigen (1997). The Myth of Continents: a Critique of Metageography. Berkeley: University of California Press. pp. 21. ISBN 0-520-20742-4, ISBN 0-520-20743-2.
- ^ a b 臺灣地區與大陸地區人民關係條例(民國81年公布)(ウィキソース)
- ^ 全国人民代表大会常务委员会关于根据《中华人民共和国香港特别行政区基本法》第一百六十条处理香港原有法律的决定(ウィキソース)
- ^ a b 『中華民國九十四年年鑑』(行政院新聞局編)
- ^ 43年判字第11號(法務部)
- ^ 釋字第31號(司法院大法官)
- ^ 法務部-判例(71年台上字第8219號)(法務部)
- ^ 開放臺灣地區與大陸地區民眾間接通話(報)實施辦法(法務部)
- ^ 臺灣地區與大陸地區人民關係條例施行細則(法務部)
- ^ 中华人民共和国政府关于领海的声明(ウィキソース)
- ^ 中华人民共和国国务院办公厅关于台湾同胞来祖国大陆探亲旅游接待办法的通知(ウィキソース)
- ^ 全国人民代表大会常务委员会关于根据《中华人民共和国澳门特别行政区基本法》第一百四十五条处理澳門原有法律的决定(ウィキソース)
- ^ 釋義及通則條例(律政司)
- ^ 回歸法(印務局)
- ^ “編印臺灣全圖及各級行政區域圖”. 中華民國內政部地政司. 20210405閲覧。
- ^ “俄羅斯聯邦”. 中華民國外交部. 20210405閲覧。
- ^ “塔吉克共和國”. 中華民國外交部. 20210405閲覧。
- ^ “緬甸聯邦共和國”. 中華民國外交部. 20210405閲覧。
- ^ 中華民國教育部國語推行委員會編、教育部重編國語辭典修訂本 「中國大陸」及び「大陸地區」の項 による。
- ^ 『中華民國九十四年年鑑』 第一篇 總論 第二章 土地 第一節 臺灣(行政院新聞局編)
- ^ 『中華民國九十四年年鑑』 第一篇 總論 第二章 土地 第二節 大陸地區(行政院新聞局編)
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