遺跡発掘調査の結果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 07:52 UTC 版)
昭和40年、犀川河口の普正寺遺跡の発掘が石川県考古学研究会によって行われた。多くの五輪塔が発掘され、鎌倉時代中期から南北朝時代末期に至るまで特定豪族の墓地だったと推定された。出土したものには、古瀬戸、常滑、越前古窯、能登半島東北端で生産された珠洲焼など多量の土器が含まれていた。それらに加え、青磁、白磁、青白磁といった多くの中国磁器が出土した。その割合は、明代のものが圧倒的に多く、若干の南宋、元代のものを含んでいた。さらに、唐銭、北宋銭、南宋銭をはじめ、曲物、桶、下駄などの木器も出土した。これらの出土品から、この遺跡が鎌倉時代中期以降繁栄した湊の跡であることが推定された。
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