古窯
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「北一色町 (豊田市)」の記事における「古窯」の解説
吉原(よしわら)窯- 中世 藤四(とうし)窯- 近世 藤四の名は、瀬戸焼の祖である加藤四郎左衛門景正の俗称藤四郎にちなむと考えられる。 山洞(やまぼら)窯- 時期不詳
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古窯
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名古屋市緑区において、旧鳴海町や旧大高町では旧石器時代から平安時代にかけての遺跡が数多く知られているのに対して、大字桶狭間や大字有松ではまったくといってよいほどそれらの痕跡が見あたらない。わずかに、未確認ながら石鏃が発見されたという森前遺跡、石刃・石鏃が出土した又八山遺跡、石鏃が出土した権平谷遺跡などが知られるのみである。それ以降の、古代から中世初頭までの大字桶狭間の様子を示すような史料や考古学的遺物は皆無であるとされる。 一方、大字桶狭間や大字有松でも多く知られているのは、猿投山西南麓古窯址群(5世紀-13世紀)の一端をなす古窯跡である。1955年(昭和30年)に初めて具体的な踏査が行われ、1957年(昭和32年)に旧有松町内の11地点13基の窯跡(桶狭間10地点12基、有松1地点1基)が報告されている。日本陶磁史において、窯を使用した高火度焼成のやきものの生産は5世紀頃、朝鮮半島の技術を導入して作られた須恵器に始まる。名古屋市域では、窯を構築するための斜面が存在し、材料となる粘土・燃焼のための豊富な木材が豊富に手に入る地域、すなわち名古屋東部丘陵地帯においてその発展をみることになる。名古屋市緑区内に分布する古窯跡は旧鳴海町域の北部に広がるグループと旧有松町域から旧大高町域、豊明市域に広がるグループに大別され、前者を「猿投窯鳴海地区鳴海支群」、後者を「猿投窯鳴海地区有松支群」といい、鳴海支群では奈良時代の須恵器第2型式と呼ばれる窯が主体であるのに対し、有松支群における型式のほとんどは「行基焼(山茶碗)第2型式窯」と呼ばれ、土地の斜面をトンネル状に掘り抜いて燃焼室・燃成室・煙道を構築する窖窯の方式を用いており、周辺から山茶碗や山皿の残片が多数出土している。行基焼窯は、その製品の型式によって第1型式、第1-第2過渡期型式、第2型式、第3型式に分けられ、製作年代は第1型式が12世紀半ば、第2型式は13世紀半ば、第3型式は13世紀終わり頃から14世紀前半頃という推測がなされている、大字桶狭間にある古窯群は有松支群に属するとみられ、北部や南部の丘陵地の山裾に広く分布しており、その詳細は以下のとおりである。 大字桶狭間の古窯跡一覧遺跡番号名称窯の型式出土遺物所在地備考4230 深谷池古窯跡 行基焼第1型式 山皿・山茶碗 桶狭間清水山 ため池の北東側湖畔に遺物の散布が確認されている。現在では滅失。 4237 幕山古窯跡 行基焼第2型式 山皿・山茶碗 有松町大字桶狭間字幕山 高根山の南麓にあり、窯の遺構と遺物の散布が確認されている。窯跡は市道有松橋東南線(当時の愛知県道大府街道)道路脇の崖面に窯の焚口部分が口をあけて露出しており、内部に分焔柱が残されていたという。後にコンクリートの土留めで覆われ、現在では遺構を確認することはできない。 4238 生山古窯跡 行基焼第2型式 山皿・山茶碗 有松町大字桶狭間字生山 遺物の散布が確認されているが、1941年(昭和16年)の国道1号造成の際に破壊された上で滅失。当時の工事関係者の話では、3基の窯が並んでいたという。 4239 愛宕西古窯跡 行基焼第2型式 山皿・山茶碗 有松町大字桶狭間字愛宕西 愛宕霊園を西に望む谷底(現在のめぐみ保育園の裏手付近)にて遺物の散布が確認されている。昭和20年代の開墾によって滅失し、現在は宅地になっている。 4240 愛宕東古窯跡 行基焼第2型式 山皿・山茶碗 有松町大字桶狭間字愛宕西 遺物の散布が確認されている。昭和10年代の道路工事(市道三ツ屋線)によって滅失。 4241 嵐廻間古窯跡 行基焼第2型式×2基 山皿・山茶碗 桶狭間上の山 大芝池北岸の丘陵斜面にあり、1956年(昭和31年)の有松中学校による調査では、遺物の散布と左右に並んだ2基の窯跡の遺構が確認されている。後年の宅地造成により滅失。 4242 清水山古窯跡 行基焼第2型式×2基 山皿・山茶碗 桶狭間切戸山 遺物の散布と2基の窯跡が確認されている。1957年(昭和32年)の有松中学校によってうち1基の発掘調査が行われ、幅2メートル×長さ6メートルの燃焼部の中に、直径35センチメートル×高さ40センチメートルの分焔柱の遺構が確認されている。 4243 上ノ山古窯跡 行基焼第2型式 山皿・山茶碗 桶狭間上の山 東ノ池南岸の丘陵斜面にて遺物の散布が確認されている。 4245 神明裏古窯跡 行基焼第2型式 山皿・山茶碗 桶狭間神明 桶狭間神明社の境内にあり、社殿西方の谷地形部分に遺物の散布が確認されている。 4255 清水谷古窯跡 行基焼第3型式 山皿・山茶碗 桶狭間神明 現在の愛知県道243号沿い付近、大高方面に面した西向斜面に遺物の散布が確認されている。 このほか、1980年(昭和55年)には、名古屋市立桶狭間小学校分校用地として造成工事が行われた字森前から字六ケ廻間にまたがる付近(現名古屋市立南陵小学校敷地)で、2,000点にも及ぶ山皿・山茶碗が出土している。
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古窯
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「豊田市の埋蔵文化財の一覧」の記事における「古窯」の解説
赤原古窯 - 近世。 穴田窯 - 近代。 飯野境窯 - 近世。 池浦古窯(K-128号窯) - 中世。 石神窯 - 中世。 一色屋敷古窯 - 中世。 板倉窯 - 近代~現代。 井ノ平窯 - 近代~現代。 岩花窯 - 中世。 臼ケ池古窯群 - 中世。 臼ケ池下窯 - 中世。 宇頭坂窯 - 近代。 馬子十窯 - 中世。 海老田古窯 - 中世。 大川ケ原窯 - 中世。 大皿田窯 - 近代。 太田古窯 - 中世。 大屋窯 - 中世。 金池古窯群 - 中世。 金山古窯 - 平安時代。 兼近古窯群 - 平安時代~中世。 釜坂窯 - 中世。 釜下窯 - 中世。 かまのす古窯 - 奈良時代。 神子塚窯 - 中世。 神迫間古窯群 - 平安時代~中世。 上向イ田古窯群 - 古墳時代。 紙屋沢窯 - 近代。 唐池古窯群 - 平安時代~中世。 川原田古窯群 - 中世。 北ノ前窯 - 中世。 北ノ脇古窯 - 平安時代。 北前窯 - 近代~現代。 切山古窯群 - 中世。 蔵屋敷窯 - 中世。 駒場瓦窯 - 古墳時代。 五窯古窯群 - 中世。 桜ヶ入古窯 - 中世。 笹窯 - 中世。 三ヶ峰10号窯 - 中世。 塩狭間古窯群 - 中世。 敷田古窯群 - 中世。 清水窯 - 近代~現代。 清水口古窯群 - 中世。 十五夜古窯 - 平安時代。 白地釜窯 - 中世。 神明瓦窯 - 古墳時代。 空窯 - 近代~現代。 高曽窯 - 中世。 高根越古窯群 - 奈良時代~中世。 高山古窯(K-127号窯) - 中世。 田野尻窯 - 近代~現代。 辻貝戸窯 - 中世。 辻戸窯 - 中世。 土ノ山古窯 - 中世。 寺池古窯 - 平安時代。 藤四窯 - 近世。 戸尻窯 - 中世。 中貝渡窯 - 近代~現代。 中清田古窯群 - 中世。 長根浅沢古窯群 - 中世。 長根古窯群 - 中世。 七曲古窯群 - 平安時代。 鉛池古窯 - 中世。 西川古窯群 - 中世。 西中山第1号窯 - 中世。 西山古窯(K-126号窯) - 中世。 鶏石古窯群 - 中世。 半済寺古窯群 - 中世。 東唐池古窯群 - 奈良時代~中世。 日向西古窯 - (時期不詳) ヒヤケ古窯群 - 中世。 平山古窯 - 中世。 深沢窯 - 中世。 弁財古窯群 - 中世。 法花坊古窯群 - 中世。 細田窯 - 中世。 細田西窯 - 中世。 舞木古窯 - 古墳時代。 孫目池古窯 - 平安時代。 孫目上池古窯 - 平安時代。 丸山古窯 - 中世。 万作平窯 - 近代~現代。 宮脇窯 - 近代~現代。 明蓮古窯群 - 奈良時代~中世。 向イ田古窯群 - 中世。 向田遺跡 - 中世~近世。 向屋下窯 - 近世。 向山古窯 - 中世。 薬師山窯 - 中世。 山桑古窯群 - 中世。 山洞古窯 - 平安時代。 山洞窯 - (時期不詳) 吉兼古窯群 - 平安時代~中世。 吉原窯 - 中世。 来姓古窯群 - 古墳時代・平安時代~中世。
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