遺跡群とオケオ文化の広がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 23:12 UTC 版)
「オケオ」の記事における「遺跡群とオケオ文化の広がり」の解説
オケオの発掘は、フランスの考古学者が航空写真から遺跡を見出した後、1942年2月10日に開始された。最初の発掘隊を率いたのはルイ・マレレ(英語版)である。遺跡群の範囲は450ヘクタールに及んでいた。 オケオは、メコンデルタの低地平原を縦横に結ぶ古代の運河ネットワークの中に位置しており、オケオと海の港を繋ぐ運河の一つは、北北西に約67km離れたアンコール・ボレイまで繋がっていた。オケオは運河によって南北に分断され、更に4つの運河が東西に走り、その運河はメコンデルタ地域に現在でも見られる高床式の水上住宅に囲まれていたと思われる。 オケオの文化を反映した遺跡群はベトナム南部全域に広がっているが、特にホーチミン市より南西のメコンデルタ地域に集中している。現在のオケオ市鎮から離れた場所での最も重要な遺跡群は、メコン川の東の流れ(ソンティエン)に位置する、ドンタップ省カオライン市の東、同省タップムオイ県にあり、ここでは6世紀のサンスクリット碑文が発見されている。 また、1958年に撮影された航空写真によって、扶南時代にはメコン川の支流が、タケオの周辺からタイランド湾に流れ込んでいたことが証明された。タケオは古くは海岸に面していたが、後に堆積によって海岸線と離されていったと見られている。扶南時代のオケオは運河でタケオと繋がっており、オケオもタイランド湾の深部へつながる経路を持っていたことになる。また、航空写真によって明らかになったこのメコン川の河口部は、プトレマイオスが「ゲオグラフィア」で言及した、メコン川の西の支流(プトレマイオスはコッティアリス(Cottiaris)と呼んだ)に属する河口分流の「シーナス(Saenus)」である可能性があるとされる。
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