アンコール・ボレイとプノン・ダ
アンコール・ボレイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 14:42 UTC 版)
「アンコール・ボレイとプノン・ダ」の記事における「アンコール・ボレイ」の解説
アンコール・ボレイは、南北2.2km、東西1.6km、内部約300ヘクタールの城壁都市であり、6~7世紀に人口のピークに達し、その後も都市として機能し続けた。1930年代から40年代の空中写真を用いた調査で、アンコール・ボレイは南南東に約67km離れた外港のオケオ(現在のベトナム、アンザン省トアイソン県オケオ市鎮)とほぼ直線の水路でつながっていたことがわかっている。 この地は1世紀から6世紀にかけての、インド文化がメコンデルタにもたらされた時代、中国とインドの間の重要な水上交易路の一角をなしていた。またプレ・アンコール期に於ける最も重要な政治的中心地であったことが確実視されており、発掘調査の結果から、扶南の都ヴィヤダプーラ(Vyadhapura, ビャダプラ、ヴィヤーダプラとも。漢文資料では「特牧城」)の最有力候補地とされる。ヴィヤダプーラは歴代ここアンコール・ボレイにあったという説と、もともとはプレイベン州のバ・プノムにあったものが真臘の南進に圧迫されここに移動したとの説があり、アメリカの地理学者のポール・ウォースリー(Paul Wheatley)は、バ・プノムをヴィヤダプーラに、アンコール・ボレイをナラヴァラナガラ(Naravaranagara)に比定している。しかし近年では歴代説が有力である。 現在、観光客むけには小規模な博物館が開設されている
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