遺跡発掘による工法変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 10:14 UTC 版)
「信楽インターチェンジ」の記事における「遺跡発掘による工法変更」の解説
聖武天皇が紫香楽宮で建立を命じた幻の紫香楽(信楽)大仏に使われる銅を製造していたとされる鍛冶屋敷遺跡が、2002年12月14日に当ICの建設工事中に本線と料金所を結ぶランプ上に発掘された。遺跡が位置する場所は、当初の計画では盛土構造で遺跡は完全に喪失されてしまう工法であった。しかし、滋賀県教育委員会と当時の信楽町教育委員会が2004年9月に「古代史を理解する上で欠くことができない」として、遺跡の現地保存を旧日本道路公団(JH)に要請、2005年4月20日に両教育委員会とJHが、当初の計画からあった隼人川と市道を跨ぐ140mの橋梁を遺跡側に50m延長し、橋梁で遺跡を跨ぐ橋梁構造に工法変更することで合意した。これにより遺跡の喪失は免れることになったが、インターチェンジの工費が約1億円増加した[要出典]。 このときに建設されることになったのが、鍛冶屋敷橋(PRC連続ラーメン主版桁橋)で、料金所側から順に鍛冶屋敷遺跡・甲賀市道・隼人川みずべ公園・隼人川を跨いでいる。 遺跡保存のために工法変更をした例は珍しいが、その一例として舞鶴若狭自動車道の私市円山トンネルがある。こちらも建設途中に私市円山古墳が発掘され、切土から古墳下にトンネルを掘削する工法に変更された。 また、鍛冶屋敷遺跡から北西すぐに位置する新宮神社遺跡も新名神高速道路の本線工事中に発掘され、2001年2月に滋賀県教育委員会と信楽町教育委員会がJHに保存を要請、2001年11月28日に両教育委員会とJHが当ICのランプ橋脚計3本を東に20mずつ、遺跡西側の本線にある紫香楽橋の橋脚2本を東に10mずつずらすことで合意した。これによりこちらの遺跡も喪失を免れることができたが、工費が4000万円増加し、工事の着工も1年遅れた[要出典]。
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