遺跡発掘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/29 09:01 UTC 版)
「オースティン・ヘンリー・レヤード」の記事における「遺跡発掘」の解説
レヤードはモースル近郊に居を構え、クユンジクとニムルドの発掘を続け、1847年まで調査を行った。1848年にイングランドに帰国して Nineveh and its Remains: with an Account of a Visit to tile Chaldaean Christians of Kurdistan, and the Yezidis, or Devil-worshippers; and an Inquiry into the Manners and Arts of the Ancient Assyrians(2巻、1848年 - 1849年)を出版した。 また、これら古代遺跡を図解するために大判の本 Illustrations of the Monuments of Nineveh(1849年)も出版。イングランドで数カ月過ごし、オックスフォード大学から博士号を授与された後、コンスタンティノープルに戻ってイギリス大使館員となった。1849年夏、2度目の調査行に赴く。今回はバビロンの遺跡と南メソポタミアのいくつかの塚の調査も行った。このとき、アッシュールバニパルの図書館を発見したとされている。この調査を記録した著書 Discoveries in the Ruins of Nineveh and Babylon と図解を主とした別巻 A Second Series of the Monuments of Nineveh を1853年に出版。この困難を伴う調査の間にレヤードは多数の出土品をイギリスに送っており、それらが現在の大英博物館のアッシリア関連のコレクションの大きな部分を形成している。 クユンジクをニネヴェと特定し、多数の出土品をもたらしたなどの考古学的業績だけでなく、彼の調査行を描いた2つの著作は英語で書かれた旅行記としても最高の作品との評価を受けている。 1866年、レヤードは "ACompagnia Venezia Murano" を創業し、ロンドンにヴェネツィアン・グラスの店を開いた。この会社は現在ではPauly & C. - Compagnia Venezia Murano となり、ヴェネツィアン・グラスのブランドの1つになっている。1866年、レヤードは大英博物館の理事に任命された。
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