ごりん‐とう〔‐タフ〕【五輪塔】
五輪塔 (ごりんとう)
五輪塔
名称: | 五輪塔 |
ふりがな: | ごりんとう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1398 |
種別1: | 近世以前/その他 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1957.02.19(昭和32.02.19) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
代表都道府県: | 京都府 |
都道府県: | 京都府木津川市木津町大字木津小字南垣外 |
所有者名: | 木津町 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 石造五輪塔 正応五年壬辰八月日の刻銘及び永仁四年、永禄五年の追銘がある |
時代区分: | 鎌倉後期 |
年代: | 正応5(1292) |
解説文: | 鎌倉時代末期正應五年の建立、永仁四年及び永禄五年の追刻がある。 |
五輪塔
名称: | 五輪塔 |
ふりがな: | ごりんとう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1233 |
種別1: | 近世以前/その他 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1953.08.29(昭和28.08.29) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
代表都道府県: | 神奈川県 |
都道府県: | 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根字提灯山110-141 |
所有者名: | 箱根町 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 石造五輪塔 永仁三年十二月の刻銘がある |
時代区分: | 鎌倉後期 |
年代: | 永仁3(1295) |
解説文: |
五輪塔
名称: | 五輪塔 |
ふりがな: | ごりんとう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1382 |
種別1: | 近世以前/その他 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1956.06.28(昭和31.06.28) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
代表都道府県: | 京都府 |
都道府県: | 京都府木津川市加茂町大字西小長尾共同墓地 |
所有者名: | 加茂町 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 石造五輪塔 |
時代区分: | 鎌倉後期 |
年代: | 鎌倉後期 |
解説文: |
五輪塔
名称: | 五輪塔 |
ふりがな: | ごりんとう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 0987 |
種別1: | 近世以前/その他 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1938.07.04(昭和13.07.04) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
代表都道府県: | 福島県 |
都道府県: | 福島県石川郡玉川村大字岩法寺字方丈147 |
所有者名: | 玉川村 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 石造五輪塔 |
時代区分: | 平安後期 |
年代: | 治承5 |
解説文: |
五輪塔
名称: | 五輪塔 |
ふりがな: | ごりんとう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1404 |
種別1: | 近世以前/その他 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1957.02.19(昭和32.02.19) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
代表都道府県: | 奈良県 |
都道府県: | 奈良県葛城市当麻北共同墓地内 |
所有者名: | |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 石造五輪塔 |
時代区分: | 平安後期 |
年代: | 平安後期 |
解説文: | 平安時代風の様式をもつ珍らしい五輪塔である。 |
五輪塔
名称: | 五輪塔 |
ふりがな: | ごりんとう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1279 |
種別1: | 近世以前/その他 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1954.03.20(昭和29.03.20) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
代表都道府県: | 愛媛県 |
都道府県: | 愛媛県今治市野間甲761 |
所有者名: | |
指定基準: | |
管理団体名: | 今治市 |
管理団体住所: | 愛媛県愛媛県今治市別宮町1丁目4番地1 |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 石造五輪塔 |
時代区分: | 鎌倉後期 |
年代: | 鎌倉後期 |
解説文: |
五輪塔
名称: | 五輪塔 |
ふりがな: | ごりんとう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1280 |
種別1: | 近世以前/その他 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1954.03.20(昭和29.03.20) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
代表都道府県: | 愛媛県 |
都道府県: | 愛媛県今治市野間甲279 |
所有者名: | |
指定基準: | |
管理団体名: | 今治市 |
管理団体住所: | 愛媛県愛媛県今治市別宮町1丁目4番地1 |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 石造五輪塔 |
時代区分: | 鎌倉後期 |
年代: | 鎌倉後期 |
解説文: |
五輪塔
名称: | 五輪塔 |
ふりがな: | ごりんとう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1322 |
種別1: | 近世以前/その他 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1954.09.17(昭和29.09.17) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
代表都道府県: | 大分県 |
都道府県: | 大分県臼杵市大字中尾字ホキ143 |
所有者名: | |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 石造五輪塔 嘉応二年七月二十三日の刻銘がある |
時代区分: | 平安後期 |
年代: | 嘉応2(1170) |
解説文: |
五輪塔
名称: | 五輪塔 |
ふりがな: | ごりんとう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1324 |
種別1: | 近世以前/その他 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1954.09.17(昭和29.09.17) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
代表都道府県: | 大分県 |
都道府県: | 大分県臼杵市野津町大字八里合字津留平1162 |
所有者名: | 野津町 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 石造五輪塔 弘安八年乙酉五月廿四日の刻銘がある |
時代区分: | 鎌倉後期 |
年代: | 弘安8(1285) |
解説文: |
五輪塔
名称: | 五輪塔 |
ふりがな: | ごりんとう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1234 |
種別1: | 近世以前/その他 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1953.08.29(昭和28.08.29) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
代表都道府県: | 神奈川県 |
都道府県: | 神奈川県逗子市池子 |
所有者名: | 東昌寺 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 石造五輪塔 乾元二年癸卯七月八日の刻銘がある |
時代区分: | 鎌倉前期 |
年代: | 寛元2(1244) |
解説文: |
五輪塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 22:57 UTC 版)
五輪塔(ごりんとう)は、主に供養塔・墓として使われる塔の一種[1]。五輪卒塔婆とも呼ばれる[1]。
- ^ a b 「五輪塔」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)、小学館
- ^ 伴墓の重源塔も噛み合わせ式であるとの見解がある(狭川真一「五輪塔の成立とその背景」2002)。
- ^ 加藤繁生「久多の五輪塔-在銘最古の木造五輪塔」『史迹と美術』874号(史迹美術同攷会・2017)所収。
- ^ 『真宗小事典』法藏館、P.116「卒塔婆」
- ^ 『真宗小事典』法藏館、P.114-115「葬式」
- ^ 『親鸞聖人伝絵』真宗大谷派宗務所出版部、P.136「影像」
- ^ 豊原大成. “「築地本願寺新報」08年12月「報恩講について:建碑」”. 築地本願寺新報社. 2010年12月23日閲覧。
- ^ a b 恵信尼公廟所(浄土真宗本願寺派)ゑしんの里記念館 2017年12月24日閲覧
五輪塔(重要文化財)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 19:23 UTC 版)
※この「五輪塔(重要文化財)」の解説は、「圓證寺」の解説の一部です。
「五輪塔(重要文化財)」を含む「圓證寺」の記事については、「圓證寺」の概要を参照ください。
五輪塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/03 14:15 UTC 版)
二十五菩薩像からさらに芦の湯方面に進んだところに立つ3基の石造五輪塔で、近接して立つ2基は曽我兄弟墓、やや離れて立つ1基は虎御前の墓と俗称されている。通称曽我兄弟の墓は、水輪に地蔵菩薩像を半肉彫りする。通称虎御前の墓には永仁3年(1295年)の銘があり、同年に地蔵講結縁衆によって建立されたことがわかる。
※この「五輪塔」の解説は、「元箱根石仏群」の解説の一部です。
「五輪塔」を含む「元箱根石仏群」の記事については、「元箱根石仏群」の概要を参照ください。
五輪塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 08:56 UTC 版)
京都、北村美術館(京都市上京区河原町今出川南一筋目東入る)に隣接する庭園、四君子苑(しくんしえん)の東側、渡り廊下の右側に置かれている五輪塔は、地輪「アク」の面に、「文永二年(1265年)乙丑(きのとうし)八月十三日、□沙弥(しゃみ)西仏他界」と刻まれており、一ノ瀬の大日寺五輪塔群にあったもので、「大日寺式」と呼ばれる独特の形をした五輪塔である。 過去の調査では円地坊、壱ノ瀬、山ヶ市の三箇所の五輪塔群から、鎌倉時代から室町時代に懸けて造営された150基以上の大日寺式と呼ばれる五輪塔が確認されている。
※この「五輪塔」の解説は、「大日寺 (倉吉市)」の解説の一部です。
「五輪塔」を含む「大日寺 (倉吉市)」の記事については、「大日寺 (倉吉市)」の概要を参照ください。
五輪塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:42 UTC 版)
1565年(永禄8年)建立。台座に「奉書写大乗妙典一字一石一部当山開白天応元開山明法上人願主寺尾舜盛永禄八迄七百八十五年」との銘が読め、経文を一文字ずつ河原石などに刻んだ一字一石経塚であること、781年(天応元年)に明法上人によって開山したとされる縁起が近世にはすでに在ったことを伝える史料である。上山寺に数多ある石塔のなかでもとくに優美な造形を備え、丹後地方の他地域に存在した同種の塔を研究する貴重な文化財と評価される。
※この「五輪塔」の解説は、「上山寺」の解説の一部です。
「五輪塔」を含む「上山寺」の記事については、「上山寺」の概要を参照ください。
五輪塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/10 05:58 UTC 版)
茨木市指定文化財 建造物 第1号(平成10年4月1日指定)高さ2.2mの地元産花崗閃緑岩。 正面に「大日報身真言」の真言(風・空・火・水・地)の梵字を刻み、地輪正面には、梵字アを挟んで「八万四千人 勧進之沙門 /權少僧□圓□ 文安三年□三月日」と2行ある。文安3年(1445年)に勧進僧によっ大勢の人びとの結縁により建立された作善塔と考えられる。
※この「五輪塔」の解説は、「大岩八幡神社」の解説の一部です。
「五輪塔」を含む「大岩八幡神社」の記事については、「大岩八幡神社」の概要を参照ください。
「五輪塔」の例文・使い方・用例・文例
五輪塔と同じ種類の言葉
- 五輪塔のページへのリンク