耳塚とは? わかりやすく解説

みみ‐づか【耳塚】

読み方:みみづか

戦で首の代わりに切りとった敵兵の耳を埋めた塚。特に、文禄・慶長の役の際の京都東山方広寺大仏殿西のものが有名。


耳塚

名字 読み方
耳塚みみづか
名字辞典では、珍しい名字を中心に扱っているため、一般的な名字の読み方とは異なる場合がございます。

耳塚

読み方
耳塚みみずか
耳塚みみつか
耳塚みみづか

耳塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/28 08:06 UTC 版)

耳塚(みみづか、:귀무덤)もしくは鼻塚(はなづか、:코무덤)とは戦死者のを弔ったとされるである。文禄・慶長の役における朝鮮および明兵の戦死者の鼻を弔ったものが有名。これ以外にも日本全国に耳塚と呼ばれるものは多数存在するが、実際に耳や鼻が葬られているものは確認されていない[1]


注釈

  1. ^ 歴史学者の藤木久志は「老若・男女・僧俗の区別なく撫で斬りにせよ」との秀吉の上意があり非戦闘員も含むと主張している[5]

出典

  1. ^ 清水 2015, p. 195.
  2. ^ 朝鮮出兵時の「耳鼻削ぎ」は常軌を逸していた - 東洋経済ONLINE 2015年06月27日
  3. ^ 「耳塚」とは 朝鮮人からそぎ落とした耳や鼻を供養 - 京都新聞 2018年11月10日
  4. ^ ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー『ケンペルと徳川綱吉 ドイツ人医師と将軍との交流』中央公論社 1994年、95頁。
  5. ^ 藤木久志『天下統一と朝鮮侵略』〈講談社学術文庫〉2005年、442-445頁。 
  6. ^ 平成26年10月6日文部科学省告示第140号
  7. ^ 河内 2008, p. 137.
  8. ^ 河内 2008, p. 140.
  9. ^ 申維翰 姜 在彦訳注 『海遊録―朝鮮通信使の日本紀行』平凡社〈東洋文庫
  10. ^ a b 信原修「誠信と屈折の狭間―対馬藩儒雨森芳洲をめぐって」『総合文化研究所紀要』第6巻、同志社女子大学総合文化研究所、1989年
  11. ^ a b 鄭英實『18世紀初頭の朝鮮通信使と日本の知識人』2011年
  12. ^ 九州国立博物館 対馬宗家文書 松平信綱の書状の紹介
  13. ^ 『日本航空史 明治大正編』一般財団法人日本航空協会、1956年、p178
  14. ^ 香椎地区の歴史ガイドマップ


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