いっ‐き【一×揆】
一揆
一揆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 10:12 UTC 版)
一揆(いっき)とは、日本において、一つの目的のために成立した集団の組織またはその行動を意味した概念[1]。
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- ^ コジマ/ASCII.jp編集部 (2013年6月21日). “懐ゲー「いっき」が小説化!しかも主人公がイケメン過ぎる” (日本語). ASCII.jp. アスキー・メディアワークス. 2019年9月6日閲覧。
一揆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 02:10 UTC 版)
「一揆」というと、誰もが思い出すのは「百姓一揆」であり、武士の一揆などほとんどの人は知らない。しかし「一揆」とは、「同一行動をとること」あるいはそれを誓約することである。有名なのは南北朝時代の武蔵国での「白旗一揆」、同じく「武蔵平一揆」、そして『太平記』に出てくる美濃の「桔梗一揆」などである。 これらは分轄相続によって、個々には弱小化してしまった小領主たる武士達が、他の勢力に飲み込まれないために、協力してまとまった勢力をつくりあげ、ひとつの武士団として戦に参加し、恩賞を得ようというものであり、「白旗一揆」や「桔梗一揆」はその旗印を名前とした。 また、備後国の山内首藤氏は、南北朝時代の1351年(貞和7年)に、分轄相続によって結束力の薄れた一族11人が、一致団結して足利冬直につくことを誓約した文章が残っている。 倭寇としても有名な九州北部の松浦党は、外部からは「党」と見られるが、その実ほとんど組織的な共同行動はとらず、南北朝時代に九州探題であった今川了俊の働きかけによって最初の下松浦党の一揆団結が行われるが、1384年(永徳4年)の一揆誓約書の署名の順番はクジ引によって決たという。 それより前の1346年(貞和2年)にも、上松浦の何人かの武士が、度々足利方について戦った恩賞として、肥前国河副庄の配分をうけたことがある。そのときも彼らはクジ引で河副庄配分の場所を決めている。要するに内部での調整は不可能、クジ引で決めるしかなかったということである。尚、「党」と「一揆」にはっきりとした線引きがある訳ではない。
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一揆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 10:07 UTC 版)
浦戸一揆 - 長宗我部遺臣が山内氏入国に抵抗した一揆。 滝山一揆(本山一揆) - 長宗我部遺臣が扇動した山内氏への武装抵抗。
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一揆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 03:48 UTC 版)
盛岡・八戸両藩で発生した百姓一揆は132回を数え(次点の久保田藩(秋田藩)は87回)、徳川期の最多発生地であった。その中でも「稗貫・和賀」(花巻・北上)地方が最多発地域だった。時期を見ると、大半が18世紀末以降に集中している。 原因としては以下の諸点が考えられる。 水稲北限地域外で無理に水稲生産を強制したため、連年凶作に見舞われ、代換品による食事を奨励したが、代換品すらも備蓄が無かったこと。 寛政5年(1793年)の松前(蝦夷地)出兵が原因で財政負担が増加したこと。 目安箱の設置が、罪人を糾明する証拠集めのために悪用されたこと。 負債を次から次へと作る新税・重税で解消しようとしたこと。 海産業を主とする三閉伊地方(三陸海岸沿岸部)に、水稲の基準で重課税を行ったこと。 三閉伊地方の産業(海産、材木、製鉄)に御用金制度を用い、無理な課税を行ったこと。 「軒別税」(人頭税)を実施したこと。 藩札「七福神」の大量発行によるインフレーションが発生したこと。 幕府の手伝い普請(公共工事手伝い命令)による臨時課税を行ったこと。 財政難から藩士の禄を長期にわたって借上したこと。 戦国時代以来のライバルである弘前藩、仙台藩に対抗するために恒常的に高直しや官位の叙任工作を幕府有力者に働きかけていたため、出費がかさんだこと。 さらに、農民たちはこのような原因から起こった貧困を脱するため、偽金(密銭)を鋳造したが、藩側は原因となる問題を放置したまま、偽金の製造に関わる者、使用した者を重罪人として扱い、厳重に処罰した。それまで何とか偽金で食べ繋いで来た農民たちは、1万人規模の一揆を起こすようになり、それを成功させたのである。盛岡藩百姓一揆の中で最も大規模かつ組織的で、その要求が政治的であったものが弘化4年(1847年)と嘉永6年(1853年)の三閉伊一揆であった。 詳細は「三閉伊一揆」を参照 天保期の一揆・騒動は盛岡以南の穀倉地帯の買米制度の停止を要求して行われており、田名部・野辺地・七戸の各通は買米の対象となる穀倉地帯ではなく、他領からの移入米によって生活をまかなう地区であったため、対立を引き起こさなかった。そして、寛永期以降の蝦夷地幕領化の中で「松前稼」と呼ばれた、蝦夷地への労働力移動が可能であり、飢餓期の困窮を一時的に回避することができた。
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