一揆にかかわる史跡
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多数の犠牲者を出した山中地域には、犠牲者の墓、供養塔や顕彰碑などが残っている。 徳右衛門御崎(真庭市仲間):「享保十二未三月十一日」「清眼則勇信士」「俗称池田徳右衛門」などと刻まれた石碑。嘉永年間(1848年〜1854年)に近くの大庄屋、庄屋、年寄などが建立したもの。かつては刀、鎌、鍬、幟などが奉納され、願い事がかなうとして賑わった。真庭市指定重要文化財。 義民樋口弥治郎碑(真庭市見尾):見尾集落東方に1917年(大正6年)に建立された顕彰碑。弥治郎は近くの山の洞穴に身を潜め、そこに愛犬が弁当を届けていたといわれる。弥治郎が隠れていた山は「弥治郎嶽」と呼ばれている。また、この碑に寄り添そうように義民弥治郎忠犬塚も建てられている。真庭市指定重要文化財。 清水寺の供養碑(真庭市久見):1965年(昭和40年)に旭川の土居河原で発見され、清水寺に移築された石碑。「過去亡霊二十五人為菩薩 供養 大仏頂陀羅尼一万八千遍誦之 乃至法界 平等利益」「享保十二未天正月十三日 清水寺」とある。土居河原で処刑された25人の供養のために、経を1万8000回唱えたことが分かる。 大林寺の妙典塚(真庭市黒杭):石塔本体には「奉納大乗妙典書写 一石一部塚」「于時享保十二丁未天九月日 教音書写」と記されている。台座には、山中一揆で処刑された51人の名前と命日などが刻まれ、山中一揆犠牲者全員の供養のために建てられたものといえる。苔むして文字は明確でないが、菩提を弔う人々は津山藩の暴政の犠牲者であると刻まれている。天保4年(1833年)に建立。真庭市指定重要文化財。 社田(こそだ)義民の墓(真庭市蒜山西茅部):享保12年1月25日に処刑された真庭市蒜山西茅部出身の治郎右衛門の墓で、自然の石で作られた墓には、「刃了禅定門」「享保十二未天」「正月 十三日」などの文字が刻まれている。地元では毎年6月の第一日曜日を義民祭としておまつりをしている。真庭市指定重要文化財。 田部義民の墓(真庭市蒜山西茅部):山中一揆で処刑された西茅部出身者らの墓で、もとは別々の場所にあったものが徐々に寄せ集められ、まつられるようになったもの。地蔵の一部には、「笠木 忠右衛門」「三右衛門」など、享保12年1月13日に土居河原で処刑された西茅部の農民の名前が確認できる。真庭市指定重要文化財。 大森の七左衛門父子祠(真庭市東茅部):七左衛門・喜平次父子を祭る祠。父の七左衛門は奥山中の総大将格で、16歳の喜平次は総大将徳右衛門の幕僚として活躍した。父子はともに津山送りとなり、津山で処刑された。村々の救済に身をささげた父子を顕彰するために、1958年(昭和33年)に大森集落の藪の影から現在の場所に移し、供養を続けている。真庭市指定重要文化財。 剣のみさき(真庭市鉄山):美甘村鉄山の大槌に湯本下河原で処刑になった七郎兵衛を祭ったもの。この祠のそばには1926年(大正15年)に建てられた200年祭を記念する石碑がある。命日の正月25日には毎年祭礼が行われている。また近くの墓地には、真庭市指定重要文化財の七郎兵衛の墓がある。 湯谷義民の墓(真庭市田口):享保12年1月12日に今井河原で処刑された田口出身の長右衛門と三郎右衛門の墓。1961年(昭和36年)に当時の美甘村長が発起人となって建立された。そのそばには、長右衛門のものと伝えられる自然の石を積み上げた墓(真庭市指定重要文化財)がある。 萩原の万霊供養の道標(真庭市見明戸):見明戸の萩原地区のはずれ、大山方面と美甘方面に分かれる旧道の分岐点に、自然石に「萬霊 右 大山みち 享保十三年申三月十二日」と読み取れ、施主として三人の名が刻まれている。この日付は徳右衛門ら6名が津山で処刑されたときから、ちょうど1年を経過した日にあたる。 三倉の善六みさき(真庭市種):土居河原で処刑になった善六を祀っている。 樫邑の道全の供養塔(真庭市樫邑):久世で処刑された樫村の新兵衛の供養塔。道全は法名。 院庄の首無し地蔵(津山市院庄):院庄滑川刑場で処刑された首謀者6人の地蔵様。 享保12年6月中旬:山中一揆の民衆側にたって書かれた騒動記「美国四民乱放記」が成立。筆者は高田(現真庭市勝山)の住人神風軒竹翁(しんぷうけんちくおう)である。竹翁の素性は明らかではない。この一揆の騒動記は10点を超えるが、そのなかで最も内容が整っているとされる。 1982年(昭和57年):徳右衛門らが捕らえられた土居村の柿の木坂付近に「義民の丘」を整備。全犠牲者の名を記した山中一揆義民慰霊碑を建立。毎年5月3日に慰霊祭「山中一揆義民祭」が行われている。題字は当時の岡山県知事である長野士郎による。 2014年(平成26年):山中一揆をモチーフとした映画「新しき民」が上映される。監督・脚本は山崎樹一郎。
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