一揆にかかわる史跡とは? わかりやすく解説

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一揆にかかわる史跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 01:27 UTC 版)

山中一揆」の記事における「一揆にかかわる史跡」の解説

多数犠牲者出した山中地域には、犠牲者の墓、供養塔顕彰碑などが残っている。 徳右衛門御崎真庭市仲間):「享保十二三月十一日」「清眼則勇信士」「俗称池田右衛門」などと刻まれ石碑嘉永年間1848年1854年)に近く大庄屋庄屋年寄などが建立したもの。かつては刀、鎌、鍬、幟などが奉納され願い事がかなうとして賑わった。真庭市指定重要文化財義民樋口弥治郎碑(真庭市見尾):見尾集落東方1917年大正6年)に建立され顕彰碑。弥治郎は近くの山の洞穴身を潜め、そこに愛犬弁当届けていたといわれる。弥治郎が隠れていた山は「弥治郎嶽」と呼ばれている。また、この碑に寄りそうよう義民弥治郎忠犬塚も建てられている。真庭市指定重要文化財清水寺供養碑真庭市久見):1965年昭和40年)に旭川土居河原発見され清水寺移築され石碑。「過去亡霊二十五人菩薩 供養 大仏頂陀羅尼一万八千遍誦之 乃至法界 平等利益」「享保十二天正十三日 清水寺」とある。土居河原処刑され25人の供養のために、経を1万8000唱えたことが分かる大林寺妙典塚(真庭市黒杭):石塔本体には「奉納大乗妙典書写 一石一部塚」「于時享保十二丁未天九月日音書写」と記されている。台座には、山中一揆処刑され51人の名前命日などが刻まれ山中一揆犠牲者全員供養のために建てられものといえる。むして文字明確でないが、菩提を弔う人々津山藩暴政犠牲者であると刻まれている。天保4年1833年)に建立真庭市指定重要文化財社田(こそだ)義民の墓(真庭市蒜山西茅部):享保12年1月25日処刑され真庭市蒜山西茅部出身の治郎右衛門の墓で、自然の石で作られた墓には、「刃了禅定門」「享保十二未天」「正月 十三日」などの文字刻まれている。地元では毎年6月第一日曜日義民祭としておまつりをしている。真庭市指定重要文化財田部義民の墓(真庭市蒜山西茅部):山中一揆処刑された西茅部出身者らの墓で、もとは別々の場所にあったものが徐々に寄せ集められ、まつられるようになったもの。地蔵一部には、「笠木右衛門」「三右衛門」など、享保12年1月13日土居河原処刑された西茅部農民の名前が確認できる真庭市指定重要文化財大森の七左衛門父子祠(真庭市茅部):七左衛門喜平父子を祭る祠。父の七左衛門奥山中の総大将格で、16歳喜平次は総大将右衛門幕僚として活躍した父子はともに津山送りとなり、津山処刑された。々の救済に身をささげた父子顕彰するために、1958年昭和33年)に大森集落の影から現在の場所に移し供養続けている。真庭市指定重要文化財。 剣のみさき真庭市鉄山):美甘村鉄山大槌湯本下河原処刑になった七郎兵衛祭ったもの。この祠のそばには1926年大正15年)に建てられ200年祭を記念する石碑がある。命日正月25日には毎年祭礼が行われている。また近く墓地には、真庭市指定重要文化財七郎兵衛の墓がある。 湯谷義民の墓(真庭市田口):享保12年1月12日今井河原処刑され田口出身長右衛門三郎右衛門の墓。1961年昭和36年)に当時美甘村長が発起人となって建立された。そのそばには、長右衛門のものと伝えられる自然の石を積み上げた墓(真庭市指定重要文化財)がある。 萩原霊供養の道標真庭市見明戸):見明戸萩原地区のはずれ、大山方面美甘方面分かれる旧道分岐点に、自然石に「霊 右 大山みち 享保十三年申三月十二日」と読み取れ施主として三人の名が刻まれている。この日付は徳右衛門ら6名が津山処刑されたときから、ちょうど1年経過した日にあたる。 三倉善六みさき(真庭市種):土居河原処刑になった善六祀っている。 邑の道全の供養塔真庭市邑):久世処刑され樫村新兵衛供養塔。道全は法名院庄の首無し地蔵津山市院庄):院庄滑川刑場処刑され首謀者6人の地蔵様。 享保12年6月中旬山中一揆民衆にたって書かれ騒動記「美国四民乱放記」が成立筆者高田(現真庭市勝山)の住人神風軒竹翁(しんぷうけんちくおう)である。竹翁の素性は明らかではない。この一揆騒動記は10点超えるが、そのなかで最も内容整っているとされる1982年昭和57年):徳右衛門らが捕らえられ土居村柿の木坂付近に義民の丘」を整備。全犠牲者の名を記した山中一揆義民慰霊碑を建立毎年5月3日慰霊祭山中一揆義民祭が行われている。題字当時岡山県知事である長野士郎よる。 2014年平成26年):山中一揆モチーフとした映画新しき民」が上映される監督・脚本山崎一郎

※この「一揆にかかわる史跡」の解説は、「山中一揆」の解説の一部です。
「一揆にかかわる史跡」を含む「山中一揆」の記事については、「山中一揆」の概要を参照ください。

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