一揆に参加しなかった村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 08:25 UTC 版)
1835年に田沢村の肝煎2名が久保田藩により恩賞を与えられ、「堀川」の永名字を与えられている。彼らは、飢饉の時に小さな農民の世話をよく焼いており、奥北浦一揆の際に一人の農民も参加させなかった。奥北浦一揆の際に参加しなかった村は、生保内、刺巻、潟、田沢、玉川の村々であるという。 この2人は、堀川小太郎と堀川清左衛門である。彼らは玉川の奥地の小和瀬野に藩営の馬牧場を経営していたが、大飢饉の際に全ての馬を売り救済資金を捻出した。
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