神山征二郎とは? わかりやすく解説

こうやま‐せいじろう〔‐セイジラウ〕【神山征二郎】

読み方:こうやませいじろう

1941〜 ]映画監督岐阜生まれ新藤兼人(かねと)の「近代映画協会」に参加、「鯉のいる村」で監督デビュー代表作は「看護婦オヤジがんばる」「ふるさと」のほか、五木寛之エッセーをもとにした「大河の一滴」など。


神山征二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/12 00:39 UTC 版)

こうやま せいじろう
神山 征二郎
生年月日 (1941-07-16) 1941年7月16日(83歳)
出生地 日本岐阜県岐阜市
職業 映画監督
ジャンル 映画
受賞
日本映画監督協会新人賞
1976年『二つのハーモニカ』
藤本賞 奨励賞
1983年ふるさと
山路ふみ子映画賞
1987年ハチ公物語
1992年遠き落日
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神山 征二郎(こうやま せいじろう、1941年〈昭和16年〉7月16日[注 1] - )は、日本映画監督[2]、脚本家。岐阜県岐阜市中西郷出身[3][4]。2022年5月より東京都内から長野県上田市に移住(2024年9月時点[1])。

経歴

農家に生まれる[4]岐阜県立岐阜北高等学校に在学中は画家を志していた[4]日本大学芸術学部映画学科に在学中は演劇に傾倒していたが、1964年(昭和39年)、4年生の時に重症の右湿性肋膜炎[1]を患い大学を中退し帰郷する[4]。病気の回復後に再び上京し、映画芸術誌編集部のアルバイトを経て、1965年(昭和40年)、新藤兼人監督が主宰する近代映画協会に参加する[4][5]。なお、大学時代の同窓生にアニメーション監督富野由悠季がいる。

新藤兼人、吉村公三郎今井正各監督の助手を務めた後、1971年(昭和46年)、『鯉のいる村』(製作:近代映画協会)にて監督デビュー、全国労映賞を受賞する[4]1975年(昭和50年)には『八甲田山』(製作:橋本プロダクションほか)にチーフ助監督として務め、橋本忍野村芳太郎森谷司郎らと知り合った[4]。その後、近代映画協会では日本映画監督協会新人奨励賞を受賞した『二つのハーモニカ』(1976年)や、文化庁優秀映画奨励金を交付された『看護婦のオヤジがんばる』(1980年)など5作品を撮影した[4]

1981年(昭和56年)、『日本フィルハーモニー物語 炎の第五楽章』にフリーランスとして関わり、同年、大沢豊後藤俊夫と「こぶしプロ」を設立する[4]。1982年の東宝映画『ひめゆりの塔』では今井正監督に協同した[4]

1983年(昭和58年)に公開された『ふるさと』(製作:こぶしプロ)は、モスクワ映画祭主演男優賞(加藤嘉)、全国映連賞最優秀作品賞、同最優秀監督賞ほかを受賞、文化庁優秀映画製作奨励金を交付されるなど、国内外で高い評価を受ける[4]1986年、『春駒のうた』で、タシケント映画祭最優秀作品賞[4]

1987年(昭和62年)、『ハチ公物語』で山路ふみ子映画賞を受賞、また年間興行収入ベストワンとなる大ヒットとなった[5]

1988年(昭和63年)に「神山プロダクション」を設立[5]1990年(平成2年)の『白い手』は日刊スポーツ映画大賞監督賞、毎日映画コンクール優秀賞を受賞した[5]。以降、『遠き落日』(1992年)、『ひめゆりの塔』(1995年)、『郡上一揆』(2000年)、『大河の一滴』(2001年)などの作品を監督する[5]

2001年(平成13年)、「時代と地域を見据えた映画製作」に対し第54回中日文化賞が贈られた[6]

その後も、『草の乱』(2004年)、『ラストゲーム 最後の早慶戦』(2008年)、『学校をつくろう』(2011年)などの作品がある[5]

人物

師である新藤、今井、吉村の衣鉢を継ぐ正統的な社会派映画作家であるが、時代の変化もあり師匠たちのような高い評価には恵まれなかった。大ヒットした『ハチ公物語』にも批評家たちは冷淡で、当時彼らにキワモノ扱いされたことに対する神山の憤懣は、後年に海外での好評がアメリカ版リメイクにつながった際、映画芸術』誌上での辛辣な一文という形で吐き出されている[要追加記述]

主な監督作品

脚本

著書

脚注

注釈

  1. ^ 正しい出生日は「7月14日」だが、召集令状により出征となった父親が自宅より出発した「7月16日」を出生日として役場に届出られたエピソードがある[1]
  2. ^ 当初テレビドラマとして制作されたが、スポンサーが内容に難色を示し結局放送は中止され、後に劇場で公開されたという経緯がある。自伝の中ではフィルモグラフィーから除外されている。
  3. ^ 31作目の映画作品[1]

出典

  1. ^ a b c d 去石信一「人・かお・トーク:文化人として共感 中山晋平の生涯描いた映画監督 神山征二郎さん(83)」『ニュースサイト「毎日新聞」』(地方版 / 長野 / 北信越)、毎日新聞社、2024年9月22日。2025年4月12日閲覧
  2. ^ 神山征二郎」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E5%B1%B1%E5%BE%81%E4%BA%8C%E9%83%8Eコトバンクより2024年1月1日閲覧 
  3. ^ 神山征二郎監督、岐阜女子大学を訪れる。”. 岐阜女子大学 (2020年7月29日). 2023年7月2日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 神山征二郎 - 人物情報・関連映画”. キネマ旬報WEB. 2024年1月1日閲覧。
  5. ^ a b c d e f インタビュー:vol.5神山征二郎”. Ito・M・Studio/伊藤正次演劇研究所. 2024年1月1日閲覧。
  6. ^ 中日文化賞 受賞者一覧”. 中日新聞. 2022年5月4日閲覧。

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