はしもと‐しのぶ【橋本忍】
橋本忍
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橋本 忍(はしもと しのぶ、1918年〈大正7年〉4月18日[1] - 2018年〈平成30年〉7月19日[2])は、日本の脚本家、映画監督。兵庫県神崎郡鶴居村(現・神崎郡市川町鶴居)に生まれる[1]。
注釈
- ^ 現存する1958年版ドラマのVTRには、原作者として橋本と共に加藤の名もクレジットされている。なお1959年、橋本自身のメガホンにより映画化された際には、当初から加藤の名もクレジットされていた(私は貝になりたい#裁判も参照)。
- ^ 活字を拾う和文タイプライターではなく、欧文タイプライターの活字をカタカナとし、1キーの打鍵で1文字打てるようにしたもの。手書きよりも速いうえ、耳で聞いてわかる文章(口語)にしやすい利点があった。同業の依田義賢も活用したという(梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書、137頁)。
- ^ 監督は中川晴之助。 同シリーズ中唯一の脚本担当回で、渥美清がシリアスな役を演じた法廷ドラマ。
出典
- ^ a b c d e 東宝特撮映画全史 1983, p. 541, 「特撮映画スタッフ名鑑」
- ^ 橋本忍さんが死去 脚本家、黒沢監督の「羅生門」など 日本経済新聞 2018/7/20 2:00
- ^ 日外アソシエーツ現代人物情報[要文献特定詳細情報]
- ^ 読売新聞 2017年3月24日 夕刊9面 「レジェンド」 脚本家 橋本忍 ひたすら書く 忍耐の黒子(武田裕芸)
- ^ 橋本忍「第1章 『羅生門』の生誕 傷痍軍人療養所の戦友」『複眼の映像-私と黒澤明-』文藝春秋、2006年6月25日、12頁。ISBN 4-16-367500-0。
- ^ 伊丹への師事の経位については『複眼の映像』より[要ページ番号]
- ^ 『羅生門』執筆の経緯については『複眼の映像』より[要ページ番号]
- ^ a b c d 「『日本沈没』資料館」『東宝特撮映画大全集』執筆:元山掌 松野本和弘 浅井和康 鈴木宣孝 加藤まさし、ヴィレッジブックス、2012年9月28日、166頁。ISBN 978-4-86491-013-2。
- ^ 脚本家の橋本忍さん死去 「七人の侍」黒澤8作品に参加 - 朝日新聞デジタル 2018年7月20日
- ^ 編集部・市川遥 (2019年2月25日). “アカデミー賞で高畑勲監督、橋本忍さん追悼”. シネマトゥデイ. 株式会社シネマトゥデイ. 2019年3月10日閲覧。
- ^ Ryo Uchida (2019年2月25日). “【第91回アカデミー賞】注目すべき5つの瞬間、司会者不在は意外と好評!…映画人を追悼する“In Memoriam” 今年は高畑勲監督、脚本家の橋本忍さんら”. シネマカフェ. 株式会社イード. 2019年3月15日閲覧。
- ^ 外部リンクに映像
- ^ 川北紘一 著「第5章 パニック映画大ブーム 『日本沈没』『ゴジラ対メカゴジラ』『ノストラダムスの大予言』」、武富元太郎・小沢涼子(映画秘宝編集部) 編『特撮魂 東宝特撮奮戦記』洋泉社、2010年1月22日、102-103頁。ISBN 978-4-86248-515-1。
- ^ 月刊競輪 井上和巳のバンクのつぶやき
- ^ 松田美智子「三船敏郎の栄光とその破滅」(月刊文藝春秋 2013年11月号) より、改訂され『サムライ 評伝三船敏郎』(文藝春秋、2014年)[要ページ番号]。
- ^ 「長年の苦労報われて… 喜びの秋の叙勲受章者(都内関係、敬称略)」『読売新聞』1991年11月3日朝刊
- ^ ドラマ ナタを追え - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
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