橋本忠司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/03 23:52 UTC 版)
橋本 忠司(はしもと ちゅうじ、1898年3月9日 - 1985年9月12日)は、日本の経営者。蝶理社長、会長を務めた[1]。大阪府出身[1]。位階は従四位。
経歴
1919年に神戸高等商業学校を卒業[1]。三井物産、東洋曹達工業での勤務を経て、1951年に互洋貿易社長に就任し、1960年1月には蝶理社長に就任[1]。1970年5月に会長に就任し、1978年6月に相談役を経て、1980年6月には顧問に就任[1]。
1985年9月12日心不全のために死去[2]。87歳没。死没日付をもって従四位に叙された[3]。
脚注
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。
|
|
|
- 橋本忠司のページへのリンク